data_017:哀嘆は少年を獣に変える
ニノリもさすがに毎日プリンを欲するわけではない。
というかそれでは健康によろしくなさそうなので、アツキが冷蔵庫をチェックしつつ、『プリンを食べる日』を決めているのだそうだ。
『食べる日』でなくてもニノリの調子を考えて糖分を与えることはあるが、そういう場合はプリンじゃなくても文句を言わない。
ただ、食べる日にだけは絶対にプリンを用意しなくてはならない。
カスタードプリンでも牛乳プリンでも最悪かぼちゃプリンでもいいので、とにかくプリンに属する冷たい菓子を摂取しないと、ニノリは仕事ができなくなってしまう。
……のだそうだ。
「仕事ができないって、こうやって怒っちゃうってこと?」
「ううん、動かなくなっちゃうの。無理にお仕事させてもすぐ寝ちゃったりとか、そうでなくてもすっごくストレスが溜まるらしくて、ひどいとこうやって爆発しちゃうのねー」
困ったねえとアツキは苦笑してみせる。
「このまま放っといてもそのうち疲れて寝ちゃうんだけどね。
でもそれじゃああんまりかわいそうだし、早く止めてあげないとサイちゃんたちもお仕事できないからなぁ」
「かわいそうか? ガキのお守りも大変だな」
「こら、そういうこと言わないの。私たちはニノりんのお姉さんお兄さんなんだから」
アツキとソーヤがそんな会話をしている間に、二ノリの行動は「物を投げる」から「物を殴る」にシフトしていた。
どのみち物に当たっていることに変わりはないが。
普段キーボードを触るくらいの作業しかしていないであろう手は華奢で、あたりに叩きつけられるたびアツキの頬と同じように赤く腫れていく。
端からはかなり痛そうに見えるのだが、二ノリはまったく構わず壁を殴り机を叩き、棚をひっくり返した。
まだかろうじて投げられずにいたファイルたちが音を立てて落ちる。
二ノリの喉から低い唸り声がした。
まるで威嚇する動物みたいだとヒナトは思った。
それでもこちらに攻撃が飛んでこなくなったことに対してヒナトたちは少し安堵していたが、逆にアツキは真っ青になって二ノリを見つめている。
ここへきてもまだ、アツキは二ノリを心配しているのだ。
その証拠に彼女のぽってりしたくちびるが、かわいそう、と動いたのをヒナトは見た。
「ソーくん、ヒナちゃん、お願い。一緒にニノりんを止めて。このままじゃ、怪我しちゃう」
アツキが震える声でそう言ったので、ヒナトとソーヤは顔を見合わせた。
幸いにして二ノリは小柄だ。
三人で一斉に飛びかかれば取り押さえることはできるだろう。
問題はそのあとどうやって彼を落ち着かせられるか、だ。
ちょっといいか、とソーヤが小声で話し始めた。
「今ワタリにプリンを探させてる。もう十五分も経ってるから、あと五分も粘ればひとつくらいは見つかるだろう」
「ありがとう、一個でもあれば二ノリんも満足してくれると思う」
「よし。じゃあ今から俺があいつを羽交い締めするから、おまえらは脚を押さえろ。アツキは右足でヒナは左足だ。それでワタリが来るまで粘る」
「も、もしプリンがひとつもなかったらどうするんですか?」
「そんときゃ暇そうな職員に買ってきてもらって、ワタリは縄とか縛れそうなものを持ってくるはずだ」
「え……そんなこと言ってましたっけ?」
「言ってねぇけどあいつならまずそうするだろ。俺より頭いいし」
そ、そうなの?
ヒナトはこんな状況下ではあったが新事実に驚き、ついでに何やらソーヤとワタリの間に信頼関係のようなものを感じて、それはそれでちょっと羨ましいなどと思った。
まあ班長と副官だものね。秘書よりワンランク高いものね。
でもってその秘書もヒナトレベルじゃあね……って何をネガティブな発想に流れているんだろう自分。
ともかく行くぞとソーヤに言われ、ヒナトは身構えた。
二ノリの左足はちょうどひっくり返った机の横にある。
ここから突っ込むと机にぶつかってしまうが、それくらいは仕方がないだろう、この場合。
「いいか、俺があいつの背後に回ってから押さえろよ。
……あとたぶん抑えるのにちっとは殴ることになるだろうから、先に謝っとくぜ」
言うなりソーヤが飛び出した。
二ノリは一瞬気づくのに遅れたが、手許にあった防水トレーでソーヤの拳を受け流すと、驚くべき動きでソーヤの脚を攻撃してきた。
ソーヤはかろうじて直撃を避けたものの、足を払われる恰好になり一瞬ふらつく。
そこを二ノリは見逃さなかった。
素早く前傾したかと思うと、肩を思いきりソーヤの腰に当ててきたのだ。
すでに重心を欠いていたソーヤは踏みとどまることなく転げた。
二ノリはまだ止まらず、そのままソーヤに馬乗りになる。
殴る気だ、とヒナトは思った。
その瞬間、自分でも意識しないうちに身体が動いて、彼らふたりの間に割り込もうとしていた。
──だが。
ヒナトよりも一瞬早く、アツキが飛び出していた。
ショートカットのこめかみに赤いバレッタが、蛍光灯の光を反射してきらきらしている。
アツキはほとんど体当たりするような勢いで二ノリに突進し、けれども前に伸ばされた両腕は、どうやら少年を抱き締めようとしていたらしい。
けれども二ノリは無情にも、アツキを見ないうちに半ば反射的に彼女を殴り飛ばした。
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