data_127:その日ヒナトが決意したこと

「それは……どういう風の吹きまわしなのかな?」


 ワタリは困惑した。

 この状況でヒナトが言い出す内容としては、あまりに脈絡がなく唐突だったからだ。


 なぜこの場にもいないミチルが絡んでくるのか。

 その意味がわからないわけではない──むしろ細かな事情を誰より知っているから、彼は回答に難儀した。

 自分は知っていても、ヒナトは知らないはずだと思っていたから。


 あるいは先日の、結果的にヒナトが初めて早退扱いになったあの日に、ミチルかラボの人間から何か聞かされたのかもしれない。

 それは……ワタリにとっては、とても都合が悪い。


 どう聞き返したものか戦々恐々としていると、ヒナトが先に口を開いた。

 ──ストレスがあるとソーヤさんの病気が悪くなるってラボの人に聞きました。


「ここ最近落ち着いてたのに、また倒れちゃった。たぶん原因はあたしとミチルだと思うんです」

「……それは同意するよ。僕も正直そう感じた」

「ですよね。だから……。

 あたし、ちょっとでもソーヤさんの悩みの種になるようなことを減らしたいんです。何かできないかなってさっきからずっと考えてて。それで、ミチルのことがいちばん大きいし、でもあたしひとりじゃどうしようもないと思って──だからワタリさん、助けてください」


 うぐいす色の瞳がじんわりと滲んでいる。

 彼女は泣きそうなのではない。その奥に秘めた決意と覚悟が溢れそうになっているのだ。


 やっぱり、とワタリは思った。

 ヒナトはもう知っている──彼女と彼女にまつわるすべての宿命レゾンデートルを。

 そこにひとつだけ救いがあるとするなら、もちろんそれはワタリにとっての救いであってヒナト自身やソーヤや他のソアには何の光にもならないことだが、このまっすぐな眼差しが意味するのはつまり、ワタリの犯した罪については彼女は認知していない。


 咎人は静かに頷いた。

 誰にも肩入れしないことを己に科してはいるが、これだけは例外でいいだろう。


 むしろ、やっと、これで……償いができるのかもしれない……。


「……と……」

「え?」

「あ……ううん、なんでもないよ。帰ろう」


 そう言って歩き出す。

 ヒナトもこちらに歩幅を合わせて少し早歩きについてくるので、ワタリは少し速度を緩めた。


 廊下に響くふたりぶんの足音は、たしかに未来に向かっている。


(……ありがとう)


 これは祈りだ。

 誰に届かなくてもいい。胸の内で、そっと隣の少女に捧げた。



 ・・・・・*



 これはどういう風の吹き回しなのか。


 翌日にはワタリのみならず、サイネやアツキも困惑することになっていた。

 というのも昼、いつものように三人で食堂に集まったところ、からである。


 改めて間近に見ても、あまりにもよく似ている。

 違いを挙げるとするならその表情──顔そのものよりも微笑みの作りかただろうか。

 かろうじてこちらには愛想良く振る舞おうとしているようだったが、その裏から滲み出ている嫌悪らしき感情に気付かないほどこちらも鈍くはない。


 ヒナトに対して当たりがきついのは彼女から聞いてはいたが、それはあくまで表層の話なのだろう。

 どうやら自分たちも例外ではなく、いずれ時期が来たら牙を向けられるだろうことを察し、サイネとアツキはひそかに目配せを交わした。


「今日はミチルも一緒にお昼食べようと思って。いいよね?」

「私は構わないけど」

「うちもいーよー。さ、こっち空いてるから座って」

「ありがとう」


 奇妙なのはこの突然の同席について、ヒナトが誰より乗り気らしいことだ。

 というかむしろミチルも戸惑っている気配があり、どうも彼女が無理やりついてきたのではなく、ヒナトのほうで積極的に連れてきたふうだった。


「改めて、第二班の班長のサイネ。よろしく」

「うちは三班の副官のアツキで~す」

「よろしく……お願いします」

「あはは、そんな緊張しなくていいよぉ。あとうちらには敬語じゃなくておっけーだよ、ヒナちゃんもそうしてるし」


 ミチルの居心地の悪そうなようすに気付かないふりをして、アツキが明るい声を出す。

 彼女はこうして何も考えていないように振る舞いながら、実際のところでは相手の仕草や表情を、そこに隠された心理や感情を隅々まで観察しているのだ。

 そういうことはアツキの得意分野であり、サイネに同じことはできない。



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