data_071:箱庭のこがらし

 ヒナトとは階段で別れる。エレベーターを使ってもいいが、一日オフィスに引きこもっていると運動不足になりがちなので、自分の足で向かうのもいいだろう。

 医務部は六階にあるので、そこそこの運動になった。


 廊下を抜け、医務部のプレートがかけられた扉の前まできたところで、隣の少年が急にぴたりと立ち止まる。

 先ほどまでは急いでいたほどなのに、今は顔がこわばっていた。


「どうした?」

「……、班長は女の子を泣かせたこと、ありますか」

「なんだ急に。わりとしょっちゅうあるぜ」


 まあ八割九分がヒナトで、……残り一割一分はタニラだが。

 前者はまだしも、後者のことを考えると憂鬱になりそうなので、ソーヤは思考を振り切るように少年に続きを促した。


「今朝の喧嘩のことか?」

「はい。……僕も、わりとしょっちゅう、泣かせてるなって、思います。

 わかんなくて……僕はいいと思って描いたのに、でも、フーシャは嫌がる……んです」


 描いた、の言葉から今朝の光景を思い返す。

 そういえば喧嘩の最中、コータは手に画用紙を持っていた。

 ガーデンからの資料にも趣味がスケッチだとあったから、あれは彼が描いた絵だったのだろう。


「何が嫌だってのは聞いたのか?」

「フーシャは自分の顔が好きじゃないって……それをそのまま描かないでほしいって言うけど、でも、そこを変えちゃったらもうフーシャじゃない……僕が描きたいフーシャじゃない」

「なるほど、おまえがそれを譲らないんでキレて泣いてたわけか」


 少年は頷いた。悔しそうに。


 自分のこだわりと相手の要望が食い違ってしまっている、喧嘩の原因としてはよくある話だ。

 ソーヤとヒナトだって似たようなものだろう。ソーヤの求めるレベルと、ヒナトのそれとが釣り合っていないから、何度も注意して指導することになる。


 違いはお互いに妥協する気があるかどうか、くらいだろうか。

 ヒナトは応えようとしてくれるし、ソーヤもあまりに彼女が辛そうなら求めすぎないように心掛けてはいる。


 自分の感情だけを一方的に押し付けても、ものごとは進まない。

 ましてやそれがこだわりの強いソアであるなら尚更に。


「あれからもう何時間も経ってんだ、向こうももう怒っちゃいねえだろうさ。ちゃんと腹割って話し合えよ」

「……でも……時間は……」

「気にすんな。俺らが遅れた分の業務はワタリが片づけるからな」


 ソーヤがにやりと笑って言うと、コータもつられて笑みを浮かべた。

 そして静かに頷いた。


 ようやく扉を開け、中に入る。

 適当に近くにいた職員をつかまえてフーシャの見舞いにきたことを伝えると、彼女の病室まで案内してくれた。

 歩きながら、まだ少し緊張しているらしい少年の頭を混ぜくって喝を入れる。


 そうして訪ねた部屋は相も変わらず殺風景だ。前にソーヤが寝かされたのとは違う個室だが、景色はどこを切り取ってもまったく同じ。

 大人用ベッドに見合わぬ小柄な少女は、シーツに消え入りそうなほど白い顔で、見舞客を出迎える。


 ソーヤは息を呑んだ。

 明らかに、今朝見た子どもとは別人のようにやつれていたからだ。

 一方コータはそれに構わず、すぐさまベッドに駆け寄った。


 子どもたちが言葉を交わすのを、意図したわけではなかったが、ソーヤは離れたところで見守る。


「フーちゃん、大丈夫? まだしんどい?」

「んーん……いっぱい寝たから……。お昼食べてないから、お腹は空いてるけど」

「食べなきゃダメだよ」

「でも点滴打ってもらったもん」


 証拠のつもりか、フーシャはガーゼの貼られた腕を見せて微笑み、コータはその手を握った。


「……フーちゃん。ごめん、あの絵さ……」

「いいよ」


 もしかしたら、少女は手を握り返したかったのかもしれない。

 ソーヤの眼には細い指先が震えているのしか見えなかったけれど、そう思った。


「わがまま言ったの、わたしだもん。……コーちゃんが、好きって言ってくれるなら、いいよ。

 ね、……また絵、描いてくれる?」

「……うん!」


 それから子どもたちは、次のスケッチの案について話し合い始めた。

 GHの制服を着て、オフィスを背景にしようとか、そんな話をしていたらしい。


 らしい、というのは途中でソーヤは退室したからだ。


 ふいに肩を軽く叩かれて、振り向いたらいつになく真面目な顔をしたリクウが立っていた。

 そして声に出さずに、ちょっと来い、というジェスチャーをしてきたのだ。


 廊下に出たところでリクウは立ち止まり、周囲に誰もいないのを確認してから口を開いた。


「ソーヤ、もう一回検査を受けろ。準備しておくから業務後に来い」

「……それで何かわかるのかよ」

「かもしれない。あるいは何も進まないかもしない。やってみないことにはわからん。

 けど、何も手を打たずに放っておいたら」


 ──そのうちおまえ、死ぬぞ。


 淡々とした声でリクウはそう言った。

 彼の纏っている白衣の冷たい色が、ソーヤには死神の衣のように思えた。



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