data_042:わくらばの影

「でもやっぱり言えばよかったかなあ。どのみち辛いことには変わりないけど、本人に会って初めて知るより……」


 アツキはぶつぶつ呟いている。


 何が正しい選択なのかはヒナトにもわからない。

 どうやったってエイワと再会するまでにソーヤの記憶を取り戻すことなんてできないのだ、解決策などあろうはずもない。


 ソーヤだって突然現れた新しいソアが自分のことをよく知っていたら驚くだろうし、辛いはずだ。


 それとも彼はタニラからエイワのことを何か聞いているのだろうか。

 かつての自分に親友がいたということを。


 今さらながらソーヤがやたらとタニラに優しい理由をようやくヒナトは理解できた。

 記憶をなくし、それでひどく悲しませてしまったことを、ソーヤ自身も深く悔やんでいるのだろう。

 だから彼はタニラに甘いのだ、もうこれ以上彼女を傷つけないために。


 わかって、しまった。


 今となっては、ソーヤの心情が、よくわかるようになってしまった。


 ずっとこの件ではもやもやしていた。

 思い起こせば二班の手伝いをした際に給湯室でタニラに話を聞いたときから、ずっと違和感がヒナトの中にあった。

 外出のときにもそれを感じて、日に日に大きくなっていた。


 色んな事件が起きて忘れた瞬間もあったけれど、根っこが同じだから決して消えない。


 ──あたしにも、ない。


 眠る前のこと。

 それまで一緒に遊んだ友達の顔や名前……そうした同期のソアが何人いるのか。


 それを今までおかしいとすら思っていなかった。

 眠りでリセットされるのが当たり前なのだと思っていた。

 すべてを真っ白にしてまた生まれなおすから、起きた日をお祝いするのだと、そう捉えて満足していた。


 でも、それなら、みんなの悲しみは何だというのだ?

 タニラの涙は? このアツキの悲しい顔は?


 ラボの奥にヒナトのことをよく知っている誰かが眠っていて、ある日突然現れたら?


 そのときヒナトはどうすればいい。

 顔を見たら思い出せる? 今さらそんな都合のいいことが起きるとは思えない。


 そして、そしてつまり、何も思い出せないということは。


 ──あたしも、ソーヤさんと同じ病気……?




 ・・・・・*




 希望どおり食堂でサイネとアツキと落ち合えたので、テーブルにトレーを置くなりさっそくヒナトは切り出した。


 アマランス疾患のこと。

 ソーヤの置かれている状況について、泣きじゃくるタニラから聞いたこと。

 サイネたちが調べているということもタニラに聞いたので、ぜひ相談したい、ということも。


 もしかしたら自分も発症しているかもしれないことは、まだ話せなかった。

 できるだけ冷静に話をしたかったからだ。


 話を聞いてくれている間のサイネは終始険しい表情をしていた。

 もともと穏やかとは言いがたい顔つきの彼女ではあるが、やはりソア全体に関わる問題だからだろう、真剣な姿勢だった。

 それがなんというのか、ヒナトは少し、嬉しいような気がした。


 とりあえずだ。

 ヒナトがサイネに求めたいのは、現状彼女が掴んでいるアマランス疾患に関する情報を分けてもらうことと、今後もそれを共有してもらうこと、そして何より具体的にソーヤに対してできることのアドバイスである。


 ひとりで考えたり悩んでも大した結果が得られないのはわかりきっていた。

 悲しいが、そう自負していた。


 なんでもいいから何かしたい。


 ソーヤの秘書として、彼を支えなくてはいけないと思う。


 そして、それはいつか、ヒナト自身を救う方法にもなるかもしれない。


「気持ちはわかるけど、対処法はない」


 返ってきた言葉は辛辣なものだったが、その声にいつもの棘はない。


「当然だけど疾患についてはラボの連中が対策チームを組んでもう何年も調べてる、で、その原因すら未だにわかってないの。

 そもそも先天性疾患を持たないようゲノム操作しておいてこのざまなんだし……」

「そ、そんな」

「とりあえず食べなさい。話はそれから」


 話すのに必死で少しも手をつけていない昼食を指差してサイネが言う。


 温かかったうどんはいつの間にかほとんど湯気を上げていなかった。確かにそろそろ食べ始めないと伸びてしまうかもしれない。


 ヒナトがうどんをすすりはじめたのを確認してから、サイネはまた話し始めた。


「医務部にリクウっていう人がいるでしょ」

「あ、うん。前にあたしとタニラさんがバチバチやってたときに仲裁してくれたよ」

「あの人は私たちより上の代のソアの生き残りの片割れで、GH時代にアマランス疾患についてのある程度まとまった仮説を立ててるんだけど」



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