data_179:これからの話

 結局そのあとも、ヒナトの病室には入れ替わり立ち代わりソアたちがやってきた。

 それでわかったことがいくつかある。


 まず、ヒナトが実質死んでいた期間は二年半にも及んでいた。そりゃあみんなが大人びたはずである。

 ヒナトは長いこと身体の構成がまともでなかったためか、肉体的にはぜんぜん成長していないので、なんだか自分だけ取り残されたような気分だ。


 でもって衝撃的だったのが、もう彼らはGH所属ではないということである。

 ニノリやミチルなど一部は残留しているが、ソーヤ世代はみんなラボに繰り上がっている――といっても名目上の話で、ラボ側のいろいろな都合で未だにGHの制服やオフィスを使っている。


 そして第二世代ソアの生存率が絶望的なため、研究所の仕組み自体を変えようという議論がなされているらしい。

 ヒナトには難しかったのでかなり流し聞きしてしまい、細かいことはよくわかっていないのだが、ラボを拡大してGHをその中のいち部署にするとか、どうとか。

 それって今までとどう違うの、と思ったものの、説明されても理解できる気がしないので質問はしないでおく。


 ともかく、環境は確かに変化していた。

 良い知らせもそうでないものも、ヒナトが知るべき新しい情報は、無限に思えるほどにたくさんあった。


「あ、ところであの、ソーヤさん」


 見舞いにくるなりベッド脇のパイプ椅子に陣取った、相変わらずな旧班長様の袖をくいと引っ張る。

 振り向いた顔はたしかに記憶にあるよりも精悍になっていた。

 それに、髪も前ほど長くなくてすっきりしている。このほうが似合うと思います、と声に出さずにちょっと思った。


 もちろんヒナトにとっては、どんなソーヤでも、唯一無二の人だけれど。


「GHじゃないってことは、つまり、あたし、ソーヤさんの秘書じゃないんですか? 戻っても」

「まあ、そうなるよな。ラボにそういう制度はねぇし」

「……ぬわーッ!!」

「なんだ急に変な声出しやがって」


 いや、なんだではないだろう。ヒナトにとっては絶望である。

 ソーヤの肩越しに笑いを噛み殺しているワタリがちょっと見えたけれどそれどころではない。


 だってソーヤの秘書じゃなくなったヒナトにもはやアイデンティティはないのだ。


 オペラ細胞とかはどうだっていい。それは自分で選んでなったものじゃないし、ソーヤのために役立てたという点は嬉しかったけれど、結局は復活直後にガッツリお説教をキメられてしまうのがヒナトという人間なのだ。

 ソーヤの泣き顔なんて初めて見たし、その原因が自分だと思うとやや空しい。……意外な一面を見られたという意味ではちょっとなんかよかったけど、それはそれ。これはこれ。あれはあれ。


 ともかくヒナトの細胞でソーヤがアマランス疾患を克服できたのなら、もはやヒナトは用済みの存在なのである。今後他のことで役立てるとは到底思えない。

 ちょっと特殊な細胞を持っていたって、ヒナト自身は何の取柄もない無能な人間なのだから。


「……おまえ泣いて」

「ないです……これは、……なんか……液ですッ……」

「一般的に眼から液体垂れ流してんのは泣いてるって言うんだよ。ほら拭け」


 ティッシュを受け取ってしくしく嘆く眼と鼻を拭う。その優しさは染み入るように嬉しいけれど、それはともかく、ヒナトはこれからどうやって生きていけばいい。

 いったい何をすれば、ここに存在することを許してもらえる。


 いや、違う。

 誰かに許してほしいんじゃない。存在を拒まれたと思ったことなんて、いつかのミチルの暴言を除けばほとんどなかった。

 ヒナトの能力のなさを嫌っていたのは、それを許せなかったのは、誰でもないヒナト自身だ。


 だからソーヤに命を差し出すことも、躊躇わなかった。


「干される……て……言ったの、ソーヤさんで……覚えてない、かも、しれな、っけど……」

「は?」

「あ、あたしを……秘書にするって……言ったときぃ……」


 たぶんパニックになっていて、言うべきでないことまで口走ってしまった。

 薄々それをわかっても、もう出した言葉はひっこめられないし、涙も止められない。


 そのときは意味なんてわからなかった。ヒナトはあまりに幼かったから、よくわからないけれど楽しそうな提案だと思って乗っかった。

 実際にオフィスに入ってから、自分が周りよりどれほど劣るかを知ったのだ。

 ソーヤに秘書の肩書きをもらったから、第一班のオフィスを自分の居場所にすることができたけれど、そうでなければどこにも入れないし必要とされない。


 それがミチルの登場でさらに浮き彫りになった。代わりの人間がいるのなら、完全にヒナトは邪魔な置物でしかない。

 まさしく「干される」しかない状況だった。


 だったらせめて、最後に大好きな人の役に立ってから消えたい。


 だから、戻ってこられるとは思っていなかった。戻りたいとも思っていなかった。

 またみんなの顔が見られたのは嬉しいけれど、それは同時に、もう一度ままならない現実を突きつけられるのと同じだった。

 ヒナトがどんなにみんなを愛しても、彼らと同じものにはなれない。


「……覚えてる」


 ふと、ソーヤが呟いた。


「幸か不幸か、薬物処理ってのは不完全な部分が多くて、定期的に処置を繰り返さないと効果が持続しないもんらしい。俺にとっちゃ幸いだったけどな。つーわけで薬は拒否したから、もうぜんぶ覚えてるよ」

「……え……」

「つーかそもそも思い出してなけりゃおめーを復活させようって話にはならねえだろ」



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