data_180:こころのなか(結)

「そんでな、俺がそう言い出したとき、誰一人止めなかった。まだ拗ねてたミチルはともかくほぼ全員一致で賛成してくれた。

 ラボからやんわり止められた日にゃサイネがすげー勢いで反論してたし、タニラやエイワが連絡係になって三つの班を連携させて、あのニノリもプリン切れで発狂寸前になるまで働いてくれたしよ、ユウラに至っちゃ一回入院したし、アツキも一時期グロッキーでやばかった」


 聞いてもいないことを急にぺらぺら話し始めたソーヤを見て、あれこの感じは知ってるな、と思いつつヒナトは聞き入った。


 いつの間にか泣くのも忘れていた。たぶんそれは、饒舌に語るソーヤの表情のせいだ。

 ヒナトのために仲間たちがどれほど苦労したか、具体的に誰がどんな貢献をしてくれたのかを、なぜかものすごく嬉しそうに話して聞かせてくれるから。


 さんざん語ったあと、ソーヤはぱっと背後を振り返る。


「おまえらもよく働いてくれたよな。改めてご苦労さん」

「よく言う。嫌でも拒否権なかったし……ワタリはともかくなんであたしまで強制なんだって話で」

「まあそれは旧第一班班員の宿命だよね。でも、ミチル、いろいろありがとう」

「……なんでワタリがお礼言うの? 変だしなんか気持ち悪い……」

「ひどいなぁ」


 ほんとうに傷ついたような声音で言いながら笑っているワタリに、ミチルもにやりと口角を持ち上げた。


「ヒナト、……あんたこそ感謝してよ。あたしの協力がなかったら、あんた今こうしてないんだからね」

「そ、そうなの……?」

「うん、それは否定できない。臓器とかそのへんはね、やっぱり、女の子だし」

「それに元々おまえのベースだったわけだしな」

「よ……よくわかんないけど、あの、ミチル、ありがとう……」


 言いながら、それでよかったんだろうか、とまた少し不安になった。

 ヒナトはここに帰ってきてよかったんだろうか。

 そのためにみんなに苦労をかけて、ヒナトをあれほど嫌っていたミチルに、無理やり協力させてまで。


 そんなことをする価値が、ほんとうに自分にあるのだろうかと。


 でも――ミチルはヒナトの小さな「ありがとう」を聞いて、笑ったのだ。

 口角をちょっと上げたなんてものじゃない。ほんとうに、笑顔としか言いようのない曇りのない表情を、こちらに向けてくれた。


 それを見たらもう何も言えなかった。何も、悪い考えなんて浮かばなくなった。


 ミチルは少し大人っぽくなって、髪型も変わって、身体つきもヒナトのそれとはもう似ていない。

 けれどまだ、そのどこかには昔の面影がちゃんと残っている。

 だからヒナトにはまるで、未来の自分が笑いかけてくれたみたいに思えたのだ。


 笑って、そこにいてもいいんだよと言われたような、そんな気がした。


 我慢できなくなって、また泣いてしまった。

 でもこれは悲しい涙じゃない。

 辛さや苦しさ、悔しさから出てくるものなんかじゃない。


 三人が集まってそれぞれ背中を撫でてくれる、その手がどれも温かくて愛おしい。


「り……がと……ミチル……ありがと……ッ」

「なんで泣くのかぜんぜんわかんないんだけど。それにお礼言うのは一回でいい」

「そじゃ……なくてぇ……ッ、み、ミチルが、いて……くれて、よかっ……」

「もうほんとわけわかんない」


 呆れたように、けれどどこか笑っているようなミチルの声を聞きながら、ヒナトはいちばん近くにいたソーヤに縋りついて泣いた。


 ほんとうは良くないことだとわかっている。ミチルはあくまでもミチルという個人で、ヒナトの代わりや偽者や、鏡なんかではないのだから。

 彼女の中に自分の幻想を見て、それに慰められるなんて間違っている。


 でも、そんな救いをヒナトに与えられる人間が、彼女の他にはいるはずもない。

 だから今だけはそれを許してほしい。


 泣きじゃくるヒナトの耳に何か物音が聞こえてきた。

 誰かが扉を開けて、旧第一班の三人を呼びに来たらしかった、大人の声だったから、たぶんリクウか誰かだろう。

 三人はそれぞれ返事をして、そして出て行った――それでもヒナトを包む温かい熱はそのままで、ソーヤだけは残ってくれたらしい。


 頭を撫でられる感触がある。いつか、前にも、同じようなことがあった。

 あれはたしかソーヤの部屋で。

 ヒナトが全力でぶつけたどうしようもない悲しみと不安と混乱を、ソーヤは何も言わずに受け止めてくれた。


 今もそうだ。何も聞かずにただそこにいてくれる。


 あのときより少し大きくなった胸から、彼の鼓動が聞こえる。

 命の音。生きている証。

 ヒナトが唯一役に立てたもの。


「……ヒナ」


 小さく名前を呼ばれ、ヒナトはぐずぐずになった顔をそっと上げる。

 以前はそこに苦しげな表情があった、けれど今は、ソーヤは穏やかな微笑みでこちらを見下ろしている。


「もう、どこにも行くんじゃねえぞ。絶対に俺の前からいなくなるな。もしまたこんなことしやがったら絶対に許さないからな。

 だから今度は俺の助手になれ。ラボにそういう役職があるわけじゃねえけどこれから作りゃいい。

 二度といなくならねえように、ずっと横に置いて見張っててやる」


 顔と、言うことに温度差がありすぎた。

 優しい表情を浮かべて言うには乱暴すぎる宣言が、それがあんまりにもソーヤらしくて、ヒナトは思わず噴出しそうになる。


 ああ、やっぱり、この人はそうでなくっちゃ。


「……はい。あたし、ソーヤさんの助手、やります」




 :::*:::




 どこかの山の中にひっそりと建つ研究所。

 そこはもっとも天国に近い、あるいは地獄のような場所。その名を『花園』。

 永遠に朽ちぬ幻『不凋花』を求める、科学者たちの夢の墓場。


 科学者は種を蒔く。

 種は根を張り、芽吹いてゆっくり天を目指す。

 いつか美しい花を咲かせるために、変わり者ぞろいの蕾たちは、空を仰いで風を読む。


 彼らを育む植木鉢の奥底には、『神の御業』が眠っている。




 ―― 眠れるオペラ 了

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