File-5 アイデンティティ・クライシス
なかまはずれとまちがいさがし
data_107:地面の下の話Ⅳ‐花と実(1)
接続の切れた記録デバイスを引きちぎるようにして抜き取ると、サイネはそれを忌々しいもののように引き出しに突っ込んだ。
上から適当な書類を束のまま被せ、それが覆われて完全に見えなくなってから、ようやく彼女は安堵したように息を吐く。
ユウラはそれを、なんとも言えない気持ちで見ていた。
墓地で発見されたメモリには、かつて花園で起きた事件に関するもろもろの記録と、関係者に対する事情聴取の内容が記録されていた。
端的に言って、胸糞の悪い内容だった。
事件を起こした当事者であるソアの言動も、ラボ側の対応も、何もかもが理解の遠く及ばない領域のものだった。
しかも渦中の人物はふたりも知っているリクウとメイカだ。
とくにリクウは医務部所属なので検診などでしょっちゅう顔を合わせているから、よく知っている、と言い換えてもいい。
温厚で真面目で信頼のおける、GHのソアたちにとってはいい先輩だった。
しかし記録の中の彼は別人だ。
昔のことでリクウもまだ若かったから、というだけでは説明がつかないほど、あまりにも自分たちの抱く彼の姿からかけ離れている。
しかしユウラが今悩むのは、そんなことではない。
リクウが凶行に及んだときの心情を理解できてしまう、自分が同じ立場だったらきっとサイネに同じことをしただろうと考えてしまう、そんな己にどうしようもなく失望していた。
そしてサイネは女だからユウラと同じようには思わないだろうとも──当たり前でどうすることもできない現実が苦い。
だが、ひとつ明確なこともある。
「……今とは状況が違う」
どこか言い訳でもするような声でユウラがそう呟くと、サイネはようやくこちらの存在を思い出したみたいな風情で振り向いた。
「確かに。私たちは
それにどうもアマランス疾患そのものの形態が変化してるとしか……それで理論が破綻したってことか。だから今から同じことをしても同一の効果は得られない可能性が高い。
つまり、……あんたはバカなこと考えなくていいからね?」
「わかってる」
ユウラの回答は少し食い気味だったが、サイネは笑ったりしなかった。
お互いに冗談を言える心境ではないことにそれで気付き、ほんの少しだけ、ユウラの肩から力が抜ける。
短期間で同期のほとんどを失い、唯一の支えとふたりだけになったリクウが正気を失いかけて辿り着いた答えは『メイカを母親にすること』だった。
妊娠したソア・マウスとそのつがいと目される個体のみが一定以上の期間を超えて生存しているのがその根拠だという。
そして事実、メイカと彼だけは大量絶滅を生き延びた。
彼の論でいうなら、アマランス疾患とはソア自身の自己淘汰機能であり、妊娠出産という「生命としての務め」により本能的に自滅よりも生存を優先するようになるということらしい。
逆説的に言えば、多くのソアは子孫を残さないから滅ぶ。
もちろんそれはまだ結論ではない。
少なくともその理屈では、乳幼児期の死亡率の高さなどに説明がつかないからだ。
恐らくアマランス疾患という単語でひとくくりにしているだけで、幼児期とそれ以降ではまったく別の病なのだろう。
この疾患は個体によって発症時期も症状も、進行速度も異なるのだ。
世代ごとにも要因や病態が違うというのなら、過去の生存報告などあてにはならない。
それにリスクが大きすぎる。
メイカの出産記録は目を覆いたくなるような凄惨な内容で、分娩の工程や母体のメカニズムなどユウラにはわからないが、それでも恐ろしい状況だったことは読み取れる。
ろくに麻酔を使わずに腹部を切開して、よく失血死しなかったものだ。
しかも執刀者はあくまで花園の研究員であって、いくら医学の知識があるとはいっても、決して臨床経験の豊富な産婦人科医や外科医などではなかったというのに。
それ以外でもメイカは何度も死にかけたようだ。
妊娠中は重度の
回復には長い時間がかかり、数カ月は寝たきり同然の状態だった。
同じことをサイネにすると言われたら、ユウラは正気でいられる自信がない。
だからリクウの轍など頼まれても踏みはしない──それはもう、この手でサイネを殺せと言われているのとほぼ同じことだからだ。
「……それにしてもひどい話」
ふとサイネが呟いた。
彼女の視線は閉じられた引き出しの上に落ちていて、そこは影になっている。
「リクウがしたことはもちろん最低だと思う。ただまあ、疾患のせいで心神耗弱状態だったのと……当のメイカが彼を責めてないから、私が外野からあれこれ言うのは違うのかも」
「……意外でもないが、冷静だな」
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