data_007:仁義なき乙女の戦い

「まあまあふたりとも、落ち着いて」


 見かねた医務部員が仲裁に入る。先ほどヒナトに説明してくれていた若い人だ。


 精密検査が終わったようで、ソーヤの横たわったベッドが運ばれてきた。

 医務部員たちはそのまま個室に入っていくので、ヒナトとタニラも互いに腕をぶつけ合いながら、彼らの後をついていく。


 四方を白い壁に囲まれた、寂しい感じのする部屋だ。


「あの、リクウさん、ソーヤくんは大丈夫なんですか? いつ眼を醒ますんですか……」


 タニラは若い医務部員の腕を掴み、切実そうにそう尋ねる。


 リクウと呼ばれた医務部員は少し困ったようすで、大丈夫だよ、と言った。

 あまり説得力のない言いかただった。


 ただ検査前に比べてソーヤの顔色は多少なりとましになっていた。

 どんな検査をしたのかはしらないが、少しは治療のようなこともしたのだろうか。


「疲労かストレスじゃないかな。とにかく、そのうち眼を醒ますと思うから、それまで傍にいてあげてくれな。

 あ、仲良くするんだぞ」

「無理です」

「あたしもです」

「……じつは仲いいんだろ、おまえたち」


 仲直りしなさい、とリクウはふたりの頭をもしゃもしゃ撫でたが、ヒナトもタニラもお互いつんとそっぽを向いたままだった。


 とてもじゃないが無理だ。

 そもそもこれは喧嘩ではなくて、お互いのプライドとか意地とかのぶつかり合いなのだから。


 いや、ほんとはヒナトとしては、同じ秘書仲間としてこういう対立は避けたい。


 先にぶつかってきたのはタニラのほうだ。

 一方的に敵視して、あらゆる手段でヒナトを排斥しようとしてきたのは彼女。


 何が理由でそんなことをするのかヒナトにはわからないが、彼女のほうから和解を示してくれないことには、ヒナトにはどうしようもないと思う。

 自分を嫌っている相手と仲良くなんて、できっこない。


 ちらりとタニラを見た。


 もうすっかりヒナトのことはどうでもよくなったのか、濡らしたタオルでソーヤの顔を拭っている。

 しかもいつの間にか茶器とやかんまで用意してあるのだから、用意周到と言うべきか、手際がいいと言うべきか。


 ……というかそれは、ヒナトの仕事だろう!


「タニラさん、そーゆーことは秘書であるあたしがやりますから!」

「あなたみたいな秘書は失格よ失格! わたしがやるからオフィスに戻ってなさいな!」

「ぐっ……いやいや、タニラさんこそそろそろ戻ったほうがいいんじゃありませんか、ソーヤさんの秘書はあたしであってあなたじゃないんだし!」

「くうっ……あなたなんかがソーくんの秘書なんてずるい!

 っていうかいいの、うちの班長も副官もそれなりに優秀なんだから、もう戻ったってほとんど仕事なんか残ってやしないわよ!」

「ずるくないです! ちゃんと正攻法でこの立場についてるんです!」

「知らないわよ!

 あと今あなたのとこ副官ひとりだけなんでしょ、あなたみたいなのでも手伝ってあげたほうがいいんじゃないの?」

「大丈夫ですワタリさんってあれで意外に優秀なんです! たぶん!」


「あーだからふたりとも、ここいちおう他に病人が来たりするから、静かにしろよ……」


 ぎゃあぎゃあと言い合っていると再びリクウの仲裁が入る。

 が、ふたりの耳には届かない。

 ストレスの原因ておまえらなんじゃないの、と後ろで呆れかえったリクウがぼやいているのも、もちろん聞こえてはいない。


 とにかくだ。

 ヒナトは、タニラがひたすらヒナトの仕事を奪おうとしていることだけは理解した。


 そしてそれはヒナトとしては許し難いことだった。


 燃え上がる感情は怒りに似ている。

 たとえ容姿の美しさや手際で負けていようとも、秘書としてのプライドにかけて、仕事への情熱では負けない。

 負けてはならない。


 よくわからないけれど彼女にだけは絶対に負けたくない……!


 しかしヒナトの眼光に炎が点ったそのときである。

 すぐ近くで、誰かの声がしたのは。


「……うるっせ……」


 すっかり炎上していたヒナトだったが、その声だけは聞き洩らさなかった。

 タニラもそうだったようで、ふたりは同時に同じ方向を向いた。


 白地にブルーのラインが入った清潔なベッドの上で、顔をしかめているソーヤ。


 思わずがばっと音を立てる勢いで飛びつこうとする女子ふたりだが、リクウによって力いっぱい阻止された。

 正しい判断だと思う。


 ソーヤはうるさそうにふたりを眺める。


「ソーヤくん!」「ソーヤさん!」

「何ぎゃーぎゃー騒いでんだおまえら……こっちは頭痛えんだよ、コラ」

「あっ、ごめんねこの子がよくわかんないこと言うから……大丈夫? お茶飲む?」

「あたしのせいじゃないですよう……それよりソーヤさん、汗拭きましょうか?」


 ともに鬼気迫る表情で、茶器一式を手に迫るタニラとタオルを押し付けようとするヒナト。

 それなりに恐ろしい光景であったのではなかろうか。

 しかし、これは戦いである。


 ソーヤは少し悩んでから、


「……しいていうなら茶くれ」


 と答えた。

 さっそくヒナトは負けた。



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