data_062:自意識、意識、無意識①
花園研究所のGHにはこういう眉唾話がある。
朝一番にオフィスを覗いて最初に目に入ったものが、その日の運勢を決める──。
じゃあこれは今日一日ヒナトの運勢真っ青ブルーってことなんですか?
などとヒナトが思ってしまった程度には、朝から第一班オフィスは荒れていた。
物理的にではなく空気的にすさんでいるのだ。
というのも、オフィスのど真ん中で
小さな天才児たちは朝っぱらから喧嘩の真っ最中らしかった。
主にフーシャのほうが泣き喚いており、コータはややキレ気味にそれを宥めているという感じだ。
「そんなに怒ることないだろ、もぉ……!」
「だって、だって……ふぇぇぇッ」
ヒナトはまず室内を見回したが、班長や副官の姿はない。
それもある意味当然で、ヒナトは今日、お客さんがいるときくらい普段より張り切って掃除でもしようと思い立ち、いつもより早めに朝食を済ませてきたところなのだ。
だからそもそも、こんな時間にコータやフーシャがいることのほうが予想外なのだった。
それが喧嘩中なら尚更だ。いったい何がどうしてこんなことになったのだろう。
ともかくこれでは掃除どころではないので、ヒナトは急ぎふたりに駆け寄って仲裁を試みることにした。
「おはようコータくんフーシャちゃん、何かあったの~?」
愛想のバルブを全開にまで緩め、ともすれば胡散臭いほどの柔らかな笑顔を張り付けて特攻する。
イメージとしてはアツキの雰囲気だ。
彼女のように全身から穏やかほっこりオーラを発散しながら近寄れば、たいがいの戦意が喪失されるはず、というヒナトなりの計算に基づく演出である。
しかしながら直前までこちらの存在にすら気付いていなかったらしい新芽ふたりは、ヒナトの声にびくっと肩を震わせて驚愕の表情で振り向いた。
……その反応はちょっと傷つくからやめてほしい。お姉さんは怖くないよ。
「あ、秘書の……秘書さん」
しかもコータ少年、咄嗟にヒナトの名前を思い出せないという逆ファインプレーである。
「ヒナトだよ。で、朝からなんで騒いでるのかな? しかもここで?」
「……絵を見せたらフーちゃんが怒って」
「うぅ~……ッ」
え? ゑ?
絵……?
頭上にはてなマークを栽培し始めるヒナトを見て、コータが溜息混じりに何かを取り出した。
どうもフーシャの陰になって見えなかったらしい。
ヒナトはそれを受け取って見てみた。
ごくふつうの画用紙に描かれた、頭から胸上くらいまでの、窓辺に佇む少女の絵だ。
尋ねるまでもなく、絵のモデルとなっているのはフーシャだとわかる。
「……うっま! え、これ誰が描いたの!?」
「僕」
こともなげに少年は頷いたが、齢十歳そこそこの子どもの絵とは思えない出来栄えだった。
そもそもヒナトは絵が描けないし、描いたこともないし、つまり全く知識も技術もないのでなんとも言えないのではあるが……それにしても上手いとしか言いようがない。
写真かと見まごうほど完璧なデッサンで、造形から肌や髪、衣服の質感までもが見事に表現されている。
画材は鉛筆のようなのだが、黒一色の濃淡がこれほどまでに美しいとは。
コータ少年……これが天才児……頭の出来だけじゃなくて一芸を隠し持っているなんて……。
ヒナトは感動か衝撃かよくわからない感情で震えた。
一方、フーシャは喧嘩しているはずのコータに、まるでヒナトから隠れようとするような位置で引っ付いて泣いている。
結局仲がいいのか、それよりヒナトを拒絶する感情が上回ってるのか、どっちなんだろう。
個人的には前者であってほしいと思いつつ、ヒナトは訝る。
こんなに上手な絵を見て、彼女はいったい何を怒ることがあったのだろうか。
「えっと、フーシャちゃんはどうして怒っちゃったのかな……?」
「写実的すぎだって」
「……はい?」
「鼻の形が嫌いだからそこまで再現するなって。あとなんだっけ?」
「えぐッ……み、み、耳も、やだぁ……ッ」
わかるようなわからないような理由だった。
コンプレックスは誰にでもあるだろうし、それをこんな超絶技巧の美麗な肖像画で余すことなく表現されるのは嫌だったのだろう、というのはヒナトもわかる。
ヒナトだって仮に例えばコータがモデルを頼んできたとしたら、ちょっと胸と身長を盛ってくれるようお願いしたい。
あと小顔にして脚も長くしてほしい。
だが、だからって泣き喚いて怒るほどのことか、とも思ってしまうわけで。
ヒナトはぽかんとしてしまったが、どうやらもっと慣れているらしいコータが宥めるほうが話が早そうだった。
というか今のフーシャの状態ではヒナトが声をかけたところで聞いていない気がする。
よく考えたら、仲裁に入ってから一度も彼女からの返事がない。
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