data_160:罪人の血

 GHのソアは過半数が心神耗弱状態に陥ったため、その日は医務部に泊まることになった。

 ただしベッドの数の都合上、全員ではない。さほど症状が重くない者は、緊急用の連絡装置を持たされて、自室に戻った。


 ひとり、またひとりとドアの中に消えて行くのを、ワタリは見送る。


 当然の結末だろう。彼女はすでに彼らにとってかけがえのない仲間だったのだから。

 それを突然こんな形で失って、しかもソーヤのために、どれほど悲しくても口を噤まなければいけなかった。

 それが表出した今、次に誰が倒れてもおかしくはない。


 ワタリはずっと、まさに今のこの状況になることを憂慮していた。

 彼らが休眠に入るよりも前から、オペラの存在も、それが人の形をしていることも知っていたから。


「……おまえはどうする」


 背後からそう声をかけられて、振り向くとリクウが立っていた。

 両手にそれぞれ連絡装置と睡眠導入剤を持ち、つまり自室に戻るか、ここに泊まっていくかを尋ねているのだ。

 ワタリはそのふたつを交互に眺めてから、静かな声で言った。


「どっちも要らない。でも、――」


 その回答を聞いたリクウは、夕焼け色の瞳を見開いた。




 ふたりは連れ立って歩く。連絡通路を抜け、生活棟に向かって。

 リクウもラボの人間である前にソアだったから、彼の自室はワタリたちと同じ区域にある。

 ただ、階はひとつ違った。


 目的地は六階の角部屋で、リクウに続いてワタリも入る。

 どのソアも似たようなものだが、あまり外から物を持ち込めない環境で暮らしているため、リクウの部屋は殺風景だった。


 リクウはワタリに椅子をすすめると、自分は向かいにあるベッドに腰かけた。


「……言われてみると眼がそっくりだ」


 しみじみとした声音でそう言われ、その視線がいやに重くて、ワタリはつい目を伏せる。

 視線を合わせたくなかった。

 自分でこの場を設けたくせに、まだどこかで心の準備ができていない。


 それでも、言わなければ、きっと前には進めない。


「聞きたいことが、あるって、言ったよね」

「ああ。……なんとなく予想はつくが」

「じゃあ答えてほしい。……自分がしたことを、後悔、してる?」


 声が震えて、裏返った。

 恐ろしかったのではない。いや、ある意味ではそうだが、これは怖れではなく、懼れだ。

 この男が何と答えるか、それによってはワタリはほんとうに壊れてしまう。


 そして、リクウはというと。


「俺はメイカを救った。そして俺自身のことも。その件については後悔はない」

「……そう」

「おまえのことを今日まで放ってたのはまた別だ。……気にならなかったわけじゃない。

 でも俺には何も知らされなかった。生まれたのが男か女かすらも。そのうえ行動制限がかかってる……俺はガーデンに入れない。

 だから探すのは無理だったし、メイカがどれくらい関わったかも知りようがなかった」

「そんなの、……言い訳じゃないか」

「否定はしない。だが俺にとってはこれが事実だ。

 それに……心から後悔してる、反省してる……俺がそう言えば、おまえは納得するのか?」


 そう言われてはっとした。


 リクウの罪から、ワタリが生まれた。

 彼がメイカを強姦したのがすべての始まりで――そのおぞましい凶行の結果として、ワタリはこの世に生を受けた。


 ワタリがそれを知ったのは同期の休眠が始まったころだ。


 天然ソアであるワタリは休眠を必要としない。

 その代わりガーデン時代から、他のソアたちのために定期的にラボに呼ばれて、細胞を取られたりあれこれ調べられたりしていた。


 自分が他と違う扱いを受けていることに疑問を抱いていたワタリは、ラボのコンピューターに侵入するようになった。

 そして、あの文書を見つけてしまった。

 受け入れがたい事実に、なんとか否定材料を探そうと調べるほどに、決定的な証拠がいくつも出てきた。


 ――僕は。


「納得なんてできるわけない……ずっと、ずっと僕は、なんで生きてるんだって、どうしてみんなは死んでしまうのに僕だけは死なないんだって、毎日そればっかり、……そればかり考えて、あ、頭がおかしくなりそうだった。

 正直あなたを恨んでた、憎んでたって言ってもいい、あの人が……あなたに何もされなかったら、他のソアと同じように死んでたら、僕はそもそも存在しなかった。しないほうがよかった!


 ……自棄になって……あの日、たまたま弄った場所が、植木鉢の管理システムだった」


 ワタリは立ち上がっていた。

 同時に、あまりに手足が震えるので、今にも崩れそうだった。


「僕がやった。……僕が、ソーヤを殺したんだ……」


 そう呟いて、ついにワタリはへたり込んだ。


 ――僕は、罪人になった。父親と同じ、あるいは、彼よりも重い罪を犯した。



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