data_079:つみなきもの

 すべてを見届け、ソーヤとヒナトは休眠室を後にする。

 言葉がないままエレベーターに乗り込み、連絡通路のある二階の行先ボタンを押して、扉が閉まっていくのを眺めた。


 ヒナトは泣いていない。泣くかと思ったが、黙り込んで俯いているだけだった。


 おもむろに手を伸ばし、彼女の頭を撫でるか肩を抱こうか考えて、しかしソーヤはどちらも選ばなかった。

 慰めたほうがいいのはわかっている。

 ただ、もし下でタニラが待っていたらと考えてしまって、結局ソーヤの手は何にも触れないまま再び垂れ下がった。


 タニラのことを気にしすぎだろうか。

 彼女の感情に縛られて、ときどきソーヤは身動きができない。


 これ以上タニラを泣かせたくない。それと同じく、ヒナトのことも放っておけない。

 それだけなのに、ソーヤは上手く立ち回れない。

 すでに己は罪人だからだ。

 重い鎖に繋ぎ留められて、どこにも行けない──コータの生命をこの世に引き留めるチューブと同じで。


 ソアはみんな、何かの罪を背負っている。

 己のそれがとくに重いだけで、誰でもみんな、大なり小なりなにかを傷つけて苦しめているように、ソーヤは思う。


 (でも、こいつは違う気がするんだよな)


 ふとヒナトを見下ろしてそう思った。

 彼女の沈んだ小さな肩についに触れることなく、エレベーターは目的地に着く。


 そして案の定、エイワを連れたタニラが心配そうな顔でエレベーターホールに佇んでいたので、ソーヤはひっそり苦笑を噛み殺さねばならなかった。




・・・・・*




 ヒナちゃん大丈夫? 顔色悪いよ?


 と、真っ先にアツキに聞かれたあたりからして、たぶんヒナトは相当暗い顔をしていたのだろう。

 もうほとんど食べ終わっているサイネの向かいに腰を下ろして、しかし返事の代わりに深い溜息が盛大に漏れただけだった。


 いや、あんなものを見て落ち込むなというほうがどうかしている。

 ヒナトはざるそばを汁に浸しつつ、休眠室で見聞きしたことをぼそぼそとふたりに語って聞かせた。


「そっか……まあ、そうだよね。あの子たち仲よかったもんね」

「もう見てられなかったよ……」

「お疲れさま」


 ねぎらいの言葉を聞くのがなぜか辛い。

 たぶん、この件でいちばん悲しいのはヒナトじゃないからだろう。


 ともかく時間もあまりないので、ヒナトは急いでそばを啜る。

 そういえば朝の造花の件でようやく季節の変化を感じたヒナトだったが、食堂のメニューもそれらしく変わっているようだ。

 この前まではざるそばではなく、温かいそばだった。


 しかしソアは基本的に外に出ないし、室内は空調で一定の温度に保たれているから、あまり花園に季節感はない。


「ねえヒナト。コータに投与されてた薬剤のラベルは見た?」


 食べている途中に、ふいにサイネがそう尋ねてきた。

 口を開けられなかったので首だけ振って、わからない旨を答えたが、サイネはそんなことを聞いてどうしたいのだろう。


「状況からして睡眠導入剤とかじゃない? 注射タイプって、あんまり見ないけど」

「そうね……考えても仕方ないか」

「うん、サイちゃんはもちょっと肩の力抜こっか~。

 ……おやまあ、お客さん、ずいぶん凝ってますねえ。こことか、あとこのへんもカチンコチンだよ」


 アツキがおもむろにサイネの肩を揉み始め、意外とサイネも素直にそれを受けているのを、ヒナトはそばを啜りながら眺めていた。

 なんていうかこの場の空気がいつもどおりで、安心する。

 それもこれも悲しい事件を引きずらずに普段どおりに振る舞ってくれるアツキがいるからだ。


 毎日ずっとこうならいいんだけどなあ、と思いながら、箸を進める。


「あ、そだヒナちゃん、今日の業務後なんだけど」

「んむ?」

「返事しなくて大丈夫だから、食べながら聞いてね? ……オフィス棟の二階にある生活資材庫、うちらあそこに行こうと思ってて、だからヒナちゃんも一緒に来てね」


 なんで? そこに何があるの?

 もぐもぐしながら首を傾げたヒナトを見て、サイネが補足する。


「それだけじゃヒナトがわかんないでしょうが。

 明後日また開放日でしょ。でもって私もアツキも夏服はあんまり持ってなくて、当然あんたにも貸す余裕がないの。

 生活資材庫には前のソアの服がしまってあるから、それを借りようって話」

「あ、ごめんごめん。そゆことです」

「んむん」


 食べながら、理解したの意を込めて頷いた。



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