data_120:砕け散った鏡の破片②
きっかけは植木鉢の不具合で、ソーヤの長期休眠が中途半端なところで阻害されたことだ。
それが原因で記憶障害を発症した彼は、他のソアとの関係を一から再構築しなければならなくなり、その精神的ストレスによりアマランス疾患が同期に比べて早く進行してしまった。
そして傍にいたヒナトが『標的』化したため、彼の心身が安定するまで彼らを引き離すわけにはいかなくなってしまったのだ。
けれども花園はミチルとヒナトのことをソアには公表していない。
同じ顔の人間が急に現れたらソアたちが混乱するだろうし、それでソーヤに続いて第二ステージに上がってしまう者が現れるのを避けるため、ミチルを隔離する策を取ったのだという。
つまり他の複数のソアを優先して、ミチルひとりにすべてのしわ寄せがなされたのだ。
ミチルは愕然とした。
自分は切り捨てられたも同然だったのだ。
ソーヤとその同期たちを守るための、人柱にされたのだ。
しかもそれだけではない。
ヒナトの存在がミチルの人生を狂わせている。
見ず知らずの彼女がどういう存在であるのかをワタリに聞かされて、ミチルは耐えきれずに胃の中身を床にぶちまけた。
信じがたいことにヒナトはもうひとりのミチルだった。
同じ細胞と遺伝子を分かち合い、違いといえばアマランス処理を受けたかどうかだけ、それ以外は同じゲノムを抱えて生まれた生物だというのだ。
それまで名前しか知らなかった相手に、ミチルは言いようのない嫌悪を覚えた。
よりにもよって自分にそんなものを作っていた花園にも。
気持ちが悪い、おぞましい──その怒りにも似た忌避感情は、この部屋が抱えていた不気味で血なまぐさい過去の気配を忘れ去るのに充分なほどだった。
「あたしがもうひとりいるの?」
「いや、厳密には別の人間だ。きみと同じってわけじゃない」
「……どれくらい似てる?」
「見た目はほとんど同じかな……」
ミチルが産声を上げたときは唯一無二の存在だったはずだ。
厳密にはヒナトも存在していたようだが、そしてある意味ではミチルも
それがあるべき形であって、ヒナトは目覚めるべきではなかった。
自我も感情も記憶も何も持たずに、ヒトの形をした資源として、植木鉢の中で永遠に眠り続けているべきだったのだ。
それが花園の方針であったはずだし、ミチルは今もそう信じている。
そもそもヒナトが造られなければ。
せめてヒナトが目覚めなければ。
ミチルがこんな目に遭うことはなかった。
……そうしたらワタリとこんな出逢いかたをしなくてもよかった。
彼のことが憎くないと言えば決してそんなことはないのに、最初に必死で謝られたからか、その際彼が口走った悲観的な言葉のせいか、ミチルにはワタリをそこまで憎みきれない部分がある。
彼のしでかしたことは許されないが、彼にそうさせたのも花園だ。
「ワタリ、あたしをここから出して」
「……それはできないよ」
「なんで!? 悪いと思ってるなら、まずこの状況をなんとかしてよ!」
「できないよ……」
同時にワタリのことがひどく憎い部分もある。
彼はミチルに謝ったり慰めたりするけれど、手を貸してはくれないのだ。
「今きみが出て行ったら騒ぎになる。それこそ死人だって出かねないだろう。
とてもじゃないけど、僕ひとりじゃ責任をとりきれない」
「……あんた、誰の味方なの」
「誰の味方でもない。僕はただの悪者さ」
たぶん、彼自身が憎まれたがっている。
だからそんな言いかたをする。
わかっているから、腹立たしいと同時に悲しくて、ミチルはそれらの感情を呑み込んだ。
苦くて辛くて、不味かった。
また吐きそうになりながらも喉を押えて、喘ぐように言う。
「ならせめて、またここに来て、
「それを聞いて、きみはどうする?」
「恨むの」
恨んで憎んで妬んで嫉んで僻んで、その熱量をもってこの部屋を出るのだ。
ミチルは誓った。
そしてワタリもこの取引を受け入れ、何度かこの部屋を訪れた。
たまには部屋を抜け出せるようにもなった。
そして一度はヒナトに会うこともできた。
あまりにそっくりなのでぞっとしたが、相手のほうがもっと驚いて怯えていたので、どこか滑稽でもあった。
もっと怖がって苦しめばいい。
ミチルはその何倍も辛くて悲しい思いをしているのだから。
「……みんな敵だ」
ミチルを閉じ込めたラボの連中は敵だ。
そして何も知らないで明るい場所で暮らしているソアも全員ミチルの敵だ。
ソーヤはある意味被害者だが、よりによってヒナトに依存したことが罪にあたるのでミチルの敵だ。
あまり助けてくれないワタリも、そもそも大元の原因を作った張本人だから敵だ。
そして何よりヒナト、ミチルの存在ごと脅かすおぞましい存在、あいつこそが最大の敵だ。
ミチルは彼らを憎む。
それでどんなに精神が疲弊したとしても、憎まずにはいられない。
その憎悪を糧に生きている、ある意味これもラボがいうところの『標的』なのかもしれない。
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