data_119:砕け散った鏡の破片①

 ミチルはずっと暗闇で暮らしていた。


 もちろんそれは比喩であって、文字どおりの意味ではない。

 だが、ある意味では字面どおりに捉えても間違いではないのかもしれない。


 なぜなら十一階には窓がなくて、自然の光は差し込まないからだ。


 オフィス棟の最上階が封印されたのはそもそもミチルが生まれるずっと前で、昔はそこで、今の花園では考えられないような残酷な実験をしていたという。

 詳細は知らないが、知りたくもない。

 とにかく何代も前の所長によって方針が大きく変わり、それで忌まわしい記憶と過去が、部屋ごと塗りこめられたそうだ。


 しかし封印は完全なものではなく、出入りする方法はわずかに残されていた。

 そして上層部の極一部だけがその権限を手にし、秘密の番人として、長いことそこを守り続けていたらしい。


 そして秘密の部屋が、数年前に再び開かれた。

 ヒナトが目覚め、彼女が表舞台に出てしまったことにより、代わりにミチルが闇の中に押し込められたのだ。

 まるで初めからミチルが存在しなかったかのように、ミチルがいるはずだった場所や肩書きはすべて彼女に奪われた。


 どうしてそんなことが行われたのかミチルには理解できなかった。

 声を荒げて尋ねるたび、花園はいつもこう答えた──安定するまでもうしばらく待ってほしい、と。


 何が?

 誰が?

 それはいつ?


 詳しいことはほとんど教えてもらえなかった。

 あるいは説明されたところでミチルには到底理解できないものだった。


 だから、わかるのはふたりの人間が関わっているらしいということだけ。


 ソーヤと、ヒナト。

 それがミチルの地獄の門を封じている看守たちの名前だった。


「なんであたしが……あたしだけ、こんな目に遭うの……?」


 ここは暗くて、じめじめして埃っぽいうえに、かすかに血の臭いが残っている。

 灯りを消せばいるはずのない何者かの気配が蠢いているような気がしてならなかったし、時には耳元で囁かれる声も聞いた。

 それが超常現象の類だったのか、それとも精神的に追い詰められた結果得た幻覚だったかはわからない。


 もし生まれてからずっとここにいたのなら諦めもついただろうか。

 でも、ミチルはガーデンの温かな明るさを知って育ってしまったから、冷たい暗闇を恐れてしまう。


 ミチルはふつうのソアだった。

 他の子と同じように暮らしていただけだった。

 こんな罰を受けなければならないような失態はしていないはずなのに、どうして閉じ込められてしまったのだろう。


 悪いことなんて何もしていない。

 では、もしミチルが悪くないのなら、いったいこれは誰の罰?


「それならどうしてあたしなの。……誰がやったの」


 尋ねる相手もいないまま呟いた言葉に、思わぬ返答がある。


「……僕のせいだよ」


 顔を上げると、そこには見知らぬ人が立っていた。

 片方の眼を四角い布で覆っているのが印象的で、逆に言えばそれ以外にあまり特徴のない、穏やかな風貌の少年だった。


 申し訳なさそうな声音でそう言った彼は、のろのろとミチルの前に歩いてくる。


「誰?」

「検体番号1699番。……名前はワタリ」

「せんろっぴゃく……つまり上の代のソアってこと? なんでソアがここに入れるの?」

「権限があるわけじゃない。扉の開けかたを調べただけだ」


 ワタリはそのまま腰を下ろした。

 たったひとつしかない空色の眼が、じっとミチルを見つめるので、ミチルは少し戸惑った。


 空なんてもうしばらく見ていない。

 この部屋には、窓がないから。

 今日の天気さえ知らないし、それどころか何月何日なのか、季節が夏か冬かもわからない。


「ごめんね」


 ワタリはそう、泣きそうな声で告げて、頭を下げる。


「ぜんぶ僕が悪いんだ。きみがこんなことになったのも、ソーヤがああなったのも、ヒナトのこともぜんぶ、原因を作ったのはこの僕だ」

「原因って」

「そもそも僕が生まれたのが間違いなんだ」


 少年はそうしてわけのわからないことをあれこれ喚きながら、ミチルに謝罪した──しているつもりらしかった。

 ミチルはそもそも彼の言うことがほとんど理解できなかったので、許すとか許さないとかの感情以前に、まず彼が何を言いたくてここに来たのかをきちんと知りたかった。


 幸か不幸か、彼が落ち着くまで職員たちは来なかった。

 後から思えば権限もなしにこの秘密の部屋に侵入を試みたくらいなのだから、ワタリは事前にセンサーの類をすべて遮断していたのだろう。


 ようやく静かになったワタリから、ミチルはいろんな話を聞いた。


 今の花園のこと。

 ソーヤとヒナトがGHにいること、そこで彼らが第一班の班長と秘書として暮らしていること。

 職員たちが言っていた『安定するまで』の意味もそれでようやくわかった。



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