data_019:アウトオブ眼中

 その後しばらくニノリのようすを見ていたが、再び暴れ出しそうなことはなかった。


 むしろ別人のように大人しくなって、ただアツキの頬の怪我を心配したり謝ったりを繰り返すばかりのニノリに、一班メンバーは驚いたというかなんというか。

 ……謝るくらいなら暴れるなよというか。


 なんだか腹が立ってきた、というより呆れてきたのは、ヒナトたちに対しては一言もないからかもしれない。


 さっきから横でずーっと突っ立ってる三人のことなど、ニノリは眼中にないらしいのだ。

 もうそれこそアツキしか存在していないかのような徹底ぶりでこちらには一瞥もくれない。


 こういう状況を知っているような気がしたヒナトは記憶を辿ってみた。


 ……ああ、タニラだ。

 ソーヤがいるときのタニラってだいたいこんな感じだった気がするわ。


「ニノりん、私のことはいいからソーくんたちにお礼言わなきゃ」

「あ、……うん、そうだな」


 ニノリはアツキに言われてようやくそこに思い至ったようで、今さらやっとこちらを見る。

 やっぱり顔立ちは幼げでかわいらしい感じだ。


 しかしちょっと面倒くさそうな顔なのはどうかと思う。


「世話になった。……ところで、一班に迷惑をかけた覚えはないんだが」

「ニノリてんめぇぇえ、それがあんだけ暴れてた奴の言う科白かこのやろう! 俺殴られた!」

「ああ、それはすまない」

「絶対悪いと思ってねぇだろ!」


 そしてこの態度もどうかと思う。


 いや、もう「どうか」じゃなくて、はっきりと「悪い」。

 これではソーヤが憤慨するのも無理はない。

 どうやら精神的にはまだまだ外見どおりらしい御奉行は、明らかに邪魔なものを見る眼でヒナトたちを見ている。


 ヒナトにとっては嫌なデジャヴだ。

 花園には、というかソアにはこういう人間が多いのだろうか?


 ……そもそも花園の外をヒナトたちはよく知らないのだが。


 困ったことに、恐らくこの中で最もニノリに対して影響力があるであろうアツキは、そういうニノリの態度を諫めようとはしなかった。

 せいぜいが「あらら」程度であった。それもどうかと思う。


 思わず一班一同は顔を見合わせる。


 わがままな子どもと彼を甘やかすお母さん、としか言いようのないこのふたり。

 ある意味最悪の組み合わせではなかろうか。


「あのねニノりん、プリン食べちゃったのソーくんたちらしいの。それで来てくれたんだって」

「……なおさら謝礼も謝罪もする気になれんな」

「は?」

「それより俺とアツキは医務部に行く。それに二班に謝罪しなければならないし、部屋の片づけもある。

 あんたたちは自分の仕事に戻れ」


 ニノリはぺらぺらと一方的に言ってアツキの手をとった。


 茫然としているヒナトたちの前を通り、そのまま一瞥もくれることなく、すたすたとオフィスから出ていく。

 後に残っているのは荒れ果てた第三班オフィスと、その中央で立ちすくむ一班メンバーの、行きどころのない怒りともやもや感だけであった。


 なんだったんだ……。


 それまで黙っていたワタリが、はーあ、と溜息とも欠伸ともとれない声を出して立ちあがった。

 いやこの状況で欠伸はないだろうが。


「ここに残っても意味ないし、戻ろっか」

「そうだな。あー痛てぇ……ったく、これだからかわいげのねーガキに関わるのは嫌なんだよ……」


 制服の汚れを払いつつ二人は部屋を出る。

 ヒナトも適当にひっくり返った机を戻し、まだ手にしたままだったプリンをそこに置いてから、急いで彼らに続く。


 ドアを閉めた瞬間、急にどっと疲れが出てきた。


 そこで、ほら、とワタリがポケットから手鏡を出してソーヤに見せる。

 真上の蛍光灯を反射して、四角い鏡面がきらりと輝いた。


 映り込むソーヤの顔をヒナトは本能的に直視できなかった。

 一度聞いただけの殴打の音が、まだ耳の奥に残っているような気がしたからだ。

 あの、身体の芯を竦ませる嫌な音。


「ソーヤも医務部行ったほうがいいんじゃない? 自慢の顔がひどいことになってるけど」

「うへー……。でも今行ったらあいつらと鉢合わせになるからやめとくわ。

 ヒナ、戻ったら救急箱出せよ」

「はーい」

「ワタリも一応手冷やしとけよ。腫れてんぞ」

「……うわそれまさか口開けさせたときのですか?」

「まあそうだろうね。案外ヒナトちゃんて人遣い荒いよねー」

「う、ご、ごめんなさい」


 ワタリに謝りながらヒナトは思った。

 これからは不用意に給湯室のプリンを食べるのはよそう。

 そのたびにこんな大騒ぎをしていたのでは、精神的にも肉体的にもヒナトたちがもたない。


 それにいくらなんでもニノリのあの態度は理不尽すぎる。

 ソーヤは絶対このあとしばらく機嫌が悪いだろうし、そうなると秘書であるヒナトにも多大な負担が強いられるのは明白であった。


 というかヒナトだって怒りたい。

 さっきは先にソーヤに憤慨されてしまったので今は黙っているが、そうでなければ今ごろは何か一言叫んでいるところだ。

 うう~もやもやする……。


 ていうか! アツキちゃんも、もっとちゃんとニノリくんを叱ろうよ!



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