data_020:はじめてのことば

 ヒナトにはアツキの優しさがいまいち理解しがたかった。

 立場の上では上司にあたるから厳しくできないのかもしれないが、相手は歳下だし、何よりアツキには随分懐いているように見える。

 アツキの言うことなら聞くような気がする。


 それにしてもニノリは変だ。

 タニラに似ているところはもちろん、ありとあらゆる意味で変だ。


 ソーヤはかわいげがないと言ったが、もうそういうレベルでは済まないと思う。

 いくら優秀だからってあの性格で班長をやるのは無理だろう。


 今は班員がアツキしかいないからいいものの、いずれ三人目の新しいソアが入ってくるだろうし、それで今のようにやっていけるとは思えない。


 なんていうのか、ええと、あれだ。


 ユウラの言葉を借りれば、「仕事に私情をはさむなよ」……でいいのか。

 たぶんヒナトが言いたいのと似たような意味だと思う。

 ちょっと違う?


「ソアってみんなああなのかな……」


 思わずぼやいたヒナトに、ちょうど前を歩いていたワタリがちらと振り返った。

 聞こえてしまったようだ。


「ああ、っていうのは?」

「え、いやその……性格とか変わってるなと……」

「かもしれないね、僕らは育った環境が特殊のようだし。でもニノリは特別だ」


 含みを持たせたワタリの言いかたに、ヒナトは少しむっとする。

 その、いろんな意味で特別な部分が、今まさに気になっているのだ。悪い意味で。


 そう思ったのが顔に出たのだろう、ワタリは苦笑まじりに続けた。


「あの子はいろいろ無理してるんじゃないかな。それが、ああいう表れかたをしてるんだと思うよ」


 無理って何が?


 さっぱり意味がわからず頭の上をはてなマーク畑にするヒナトだが、ワタリはそれ以上答えてはくれなかった。

 たぶんワタリにもはっきりとはわからなかったのだろう。


 ソアについてソア自身が知りえる情報は、仕事の中で眼にするいくつかのデータに限られている。


 どういう過程で作られ、どういうものを与えられて育ち、どの段階まで発達しているか。

 それも直接閲覧できるのは自分たちより下の世代、つまり現在「ガーデン」にいる子どもたちのことが大半だ。


 だからニノリについてもよくはわからないのだ。

 ただ、少し下の世代であるにも関わらず、最年少でグリーンハウスのオフィス班長の座を与えられた天才少年である、ということぐらいしか。


 ……それ自体が無理のあることだと言われたら、ヒナトは少し納得できるかもしれない。


「ソーヤもある種、特別ではあるけどね」


 そのときワタリのもらした小さな呟きを、ヒナトは聞き逃した。



・・・・・+



 オフィスに戻ってからふたりの手当てをしたが、改めてみるとひどいものだった。

 これまで怪我らしい怪我を見たことがなかったせいもあろうが、ウイルスだけでなくそういうものにも耐性のなかったヒナトには、どちらも耐えがたいものがあった。


 どんな力で人を殴ったらこうなるのだ。

 それに、それほどの力を人に向けられるものなのか。


 わずかに手が震えるのを感じながら氷水を用意する。

 冷やしたくらいでは消えないかもしれないが、とにかく何でもやってみなければ。


 とはいえヒナトは手当てのしかたなど知らない。

 救急箱に入っていた「応急処置マニュアル」なんかを読みながら、おっかなびっくりやるしかなかった。

 相当不慣れな手つきだったろうから、ちょっとソーヤに笑われたって気にならなかった。


 いや、むしろ、そんな精神的余裕がなかったとも言える。


「い、痛いですか?」

「何を今さら……そりゃ痛てーよ。でもなんで俺よりヒナのがショック受けてんだ」

「だだだ、だって」


 だってすごく怖かったんです。

 そう言うつもりだったが、言葉が続いてくれなかった。


 ソーヤが、なんだかすごく温かい眼をして、ヒナトを見つめていたから。


「ヒナのおかげでニノリに麻酔を使わずに済んだ。その点は褒めてやるよ、よくやった」


 ぽんぽんとヒナトの頭を軽く叩きながら、ソーヤは笑っていた。


 ……また犬か何かみたいに。


 そうは思っても、ヒナトには反論なんてできっこないのだ。

 ソーヤのこんないい笑顔、それもこんな至近距離でなんて、そうそう見られはしない。


 もちろんそれだけじゃない。


 ソーヤに褒められた。


 いつかきっと、と夢に見てきたことが今、現実で起こっている。


 ヒナトが見上げた先にあるのは、もう何度も確かめているがやっぱり皮肉屋な班長さまの顔で、それはもう見間違えようがないし、たぶん空耳や聞き違えでもないのだと思う。思いたい。たまには思わせてほしい。


 あ、どうしよう……ちょっと泣きそう。


 恐怖で縮こまっていたヒナトの心が、急に熱い空気を吹き込まれたみたいになって、どんどん膨らんでいく。

 どんどん軽くなる。

 沈んだ気持ちも浮き上がっていく。


 胸が熱い。

 いっそ苦しい。


 溢れ出てくる嬉しさで、全身の血管が詰まって破裂してしまうんじゃないかと、思うくらいに。



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