はじめてのおでかけ

data_021:おさそい

「ま、原因作ったのもヒナだけどな」

「次からは気をつけてね」


 前言撤回。涙も引っ込んだ。


 ヒナトは無言でソーヤの顔に湿布を貼りつけると、今度はワタリの手の腫れを冷やす行動にシフトした。

 まだうっすらとニノリのであろう歯型が残っている。こちらもかなり痛々しい。

 腫れだけで血が出たりはしていないのが不幸中の幸いだ。


 とはいえ、早くこの腫れをひかせないと、手作業ができないのでは仕事に差し支える。

 ぶっちゃけ一班でいちばん仕事をしているのはワタリなのだから、この問題は切実だ。


 困ったな、と俯き加減で考え込んでいたヒナトは、そのとき男子ふたりが顔を見合わせていたことに気がつかなかった。


「あとは自分でやるからもういいよ、ヒナトちゃん」

「……いや、でも、ほら、あたしが原因だったわけですしぃ……」

「なに拗ねてんだおまえは」

「べっつにー、いつもどおりですけどぉ……」


 ぐぬう、我ながらちょっと子どもっぽいな。

 と、思っても、どうしても変な喋りかたをせずにいられない。困ったものだ。


 結局プラスマイナスゼロってことなの、これ。


 いや、でも、怒られるのはいつものことじゃないか。

 それに比べて褒められることなんてレア中のレア事態なのだから、ちょっとくらいプラスが勝っていてもいいと思う。

 そういうことにしよう。


 少し強引に気持ちを切り替え、ひとまず氷水と湿布と救急箱をワタリに渡して仕事に戻る。


 ……そういえば飲みものをぶちまけたとき、キャロラインにも少しひっかけてしまったんじゃなかったか。

 ディスプレイの周辺をちょっと汚したぐらいだが、過去何度もコンピュータを(もちろん故意にではないが)葬ってきたヒナトとしては、これは充分警戒に値する。


「ソーヤさん、キャロちゃんがちゃんと動くかどうか見てください」

「いいけどまず自分で触ろうとは思わねーのか」

「……触ったら壊れそうな気が……」

「壊しそうの間違いだな。でもまあ学習してるようで何よりだ、よろしい」

「ぐっ……! こ、コーヒー淹れてきます!」

「今度はこぼすなよー」


 ちょっとさっきの今でマイナス値ぐいぐい上げないでくださいよ!


 とは言えず、ソーヤの茶化し声とワタリの苦笑いを背に受けながらヒナトは一班オフィスを出る。


 じつはこぼした原因が、ソーヤに遅いと言われるのが嫌でちょっと速足になってみたから、というのは秘密だ。

 上り階段をクリアして気を抜いたらオフィスに入った瞬間……というオチだった。

 素早くこぼさず運ぶのってどうしてこう難しいのだろう。バランス感覚でも鍛えようか。


 しかしどうやれば鍛えられるのかわからなかったヒナトは、うんうん悩みながら三階の給湯室に向かった。


 ああ、またこの階に戻ってきてしまったのか、とまだ転がった植木鉢の残骸を見て思う。

 扉のようすからして三班は片付け中のようだが、二班はもう業務に戻っているらしい。

 さすが。


 しかし給湯室の前にまで物が散乱しているのを見ると、それもヒナトがグーパンチで壊した植木鉢の破片も混ざっているので、少し手伝ってあげたほうがいいんじゃないかと思えてきた。

 そりゃあ二ノリの態度は今でも腹立たしいが、……それも大元の原因はヒナトだし。


「あ、ヒナちゃん。さっきはごめんねぇ」


 とかどうとか考えていたらアツキがやってきた。


 オフィスの中がどうにかなったので、今度は外を片づけにきた、のだそうだ。

 顔の腫れていた場所にはガーゼが貼ってある。


 こうして箒とちりとりを持たせるとますますなんかこう、……世間でいうお母さんってこういう感じなのかな、と思う。


「ところで、明日って自由日でしょう? サイちゃんと繁華街行こうと思ってて、よかったらヒナちゃんも一緒にどうかなぁ」

「自由日? あ、そういえばそうだ!」


 すっかり忘れていたが、花園のGHには自由日というシステムがある。

 毎月一日か二日、数時間だけ外に出られるのだ。

 決まった額のお小遣いも支給され、禁止されているもの以外なら、ほぼ何でも購入して持ち帰ることができる。


 ヒナトはまだGHに来てから日が浅いので、じつは明日が初めての自由日だ。


 恐らくアツキはそれで気を遣ってくれたのだろう。

 外のことなんて右も左もわからないのだから、誰かと一緒に行動できたほうが心強い。

 もちろんヒナトとしては願ったり叶ったりの提案だ。


「でもヒナちゃん、まだ服持ってないよね。私もサイちゃんも貸す準備できてるから、今晩選ぼう?」

「う、うん! えっと、サイネちゃんの部屋に行けばいいの?」

「そうだよ、待ってるからね~」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る