File-3 出逢いありて別れあり
実習生がやってきた
data_058:【悲報】ヒナト敗北【実習生、有能】
その日、ついにヒナトは居場所を奪われた。
なんて言うとなんだか大袈裟で重大な事件が起きたかのようだが、事情はいたってシンプルかつ平和だ。
単に物理的な意味で椅子を取られただけだし、しかも相手は例のそっくりさんでもなければタニラでもなく、ガーデンから短期間だけ実習に来ているソアの小さな男の子である。
小さいといっても彼はガーデンでは最年長で、近々『眠り』に入ることになっている。
その前に一週間ほどGHで先んじてオフィス業務に触れるのが花園では恒例となっている、らしい──というのもヒナト自身にその記憶がないので、今回初めて知ったとしか思えなかった。
ともかくこの期間さえ終わればキャロライン(ヒナトの使っていたパソコン)の前の席は再びヒナトに返される。
それに七日間うしろで突っ立っているのもなんだからというわけで、今のヒナトには折り畳み式のパイプ椅子が用意されていた。
まあ、それはそれでなんか、侘しいものがあったが。
とはいえヒナトに現状をそれほど気に病む必要がないのだけは確かな事実だ。
……だった、はずなのだが。
「この解読式を見ながらこれを読んでみな」
「えっと……アミノ酸」
「正解。よーしじゃあ次はちょっと長くなるぞ。これだ」
「んー……フェニルアラニン」
最近までヒナトのために暗号化が解除された文章ばかり表示していたキャロラインだったが、今日は朝からずっと以前のような意味不明な英数字の羅列に戻されていた。
少年はその画面上に記された単語を、別ウィンドウのこれまた暗号にしか思えない解読式なるものと照らし合わせながら、さほど長い時間悩むこともなくすらすらと答えていく。
彼を朝からつきっきりで指導しているのはソーヤだ。
曰く「ヒナには任せておけねえ」。
ちなみにワタリは我関せずといったようすで通常業務に明け暮れているが、実習生がいるからといってその分そちらの量が減らされているわけではないので、当然といえば当然である。
というか本来なら少年の世話を秘書が担当することをラボやガーデンでも想定しているのだろう。
第一班においてはそうできないだけであって。
だからソーヤの発言にも、なんかちょっと切ないけど頷けてしまうヒナトだった。
しかしながら、ヒナトの胸を去来する感情は他にもある。
ソーヤがこうも熱心に少年の世話をしているのが意外に思えるのだ。
たぶん以前のニノリの一件があったから、彼は子どもが苦手なのだとヒナトは思い込んでいた。
ところがソーヤは今朝から一度も嫌そうな顔を見せてはいないし、むしろ逆で、ずっと楽しそうなのだ。
それを見ていると、なぜだかこちらも嬉しくなる。
「そろそろ見ずにいけるか?」
「うん、たぶんできる」
「口調に気をつけろ。返事は「はい」、「できる」じゃなくて「できます」な」
「えっと……
「よろしい」
ちなみに少年の名前はコータというらしい。
実習生は彼のほかにもうひとり女の子がいて、彼女は第二班が受け持っている。
どちらを預かるかはこちらで選んでいいと班長の出た会議で言われたそうだが、その際に受け取った資料には顔写真は載っていなかった。
開示されたのはガーデンにおける活動記録や勉強の成績など、数値化された個々の能力ばかりで、容姿や性格といった情報は除外されているのだ。
顔はともかく性格は事前情報として有用なのでは、とヒナトなどは思うのだが。
とりあえず、資料によればコータはかなり優秀らしい。
まあ知らなかったとしても今このようすを見ていれば充分わかる。
しばらくするとコータは解読式の情報をすっかり頭に取り込んで、もう照らし合わせずとも長い文章をすんなり読めるようになってしまった。
ソーヤが事前に用意したという簡単な作業も、手順を聞けばある程度はできてしまうし、ちょっとつまずいても軽く質問すれば超えて次に進めるようになっていく。
それもかなりの短時間で。
目を見張るようなその成長速度にヒナトはいっそ戦慄した。
といっても彼の賢さにではない。
このコータ少年がとくにとびぬけた天才というわけではなく、花園のソアとしてはこれが標準的であることに、だ。
前から薄々思ってはいたが、やはりヒナトひとりだけが何かおかしい。
今までひそかに心の依り代だった、他のソアに比べたらGHに来て日が浅いからかもしれない、とかいう楽観的思考が今まさに全否定されようとしている。
「なんか……ヒナとぜんぜん違うな」
ついに恐れていた言葉がソーヤの口から飛び出した。
さすがに隣のワタリも苦笑している。
「ソーヤさんひどいです! ワタリさんも何か言ってくださいよ!」
「うーん、まあ……どっちもひどいね」
「ワタリさん!!」
フォローを求める相手を間違えたヒナトだった。
ワタリはけらけら笑っているし、ソーヤはさすがに失言だったと思ったのか黙っている。
このいたたまれない空間をよくわかっていないコータがきょとんとしているのだけがある意味救いだった。
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