data_057:日陰の花を誰も知らない
軽い雑談を挟みつつ紅茶の淹れかたを実演していく。
アッサムの甘い香りが室内に広がり、先ほどまでの粟立った気分を少し落ち着かせてくれそうだと、アツキは目いっぱいそれを吸った。
何があったか知りたがるエイワを牽制するのも楽ではなかった。
たしかに未だかつてないくらい動揺していたと自分でも思うから、そんなアツキを彼が心配するのも無理はないし、そういう優しさが昔とちっとも変っていなくて好ましい。
さすがに傍若無人なガキ大将だったかつてのソーヤと親友をやれていただけはある。
しかしそれはそれとして、彼にアツキが見たものを説明するのは困難がすぎた。
まずエイワは前提条件を知らない。
それにアツキが秘密の調査をしたいがために不慣れな彼を給湯室に置き去りにしたことも、その調査の内容についてもアツキの口から語るわけにはいかないのだ。
そこのところをきちんとしないと、親友のサイネに叱られてしまう。
「このお茶はねえ、ちょっと味が強めなの。だからミルクと合うんだよ」
「へー。アッサムにはミルク、と」
「ちなみにニノリんが好きな比率はお茶とミルクが七対三で、お砂糖はこの茶色いのが二個ね」
「茶色? あ、ほんとだ色ついてんな。これって白いのと茶色いのでなんか違うのか?」
「白いのはふつうのお砂糖で、茶色いのは三温糖だよ~」
「……それって味に違いあんの?」
なければわざわざ二種類も常備されたりはしないだろう。
食べ比べしてみなよ、とアツキは二色の角砂糖をひとつずつ小皿に載せてエイワに渡した。
彼はちょっと面食らったような顔をして、いや茶色いやつだけでいいよと笑う。
その後もあれこれ説明しつつ、三人分のミルクティーを淹れてふたりは給湯室を出た。
お盆を持ったエイワの背中を眺めながら、アツキは先ほどの異常な光景をもう一度反芻する。
──ラボに満ちる特有の薬品臭と電子音の中、佇んでいた少女の姿。
どこからどう見てもヒナトとまったく同じそれ。
てっきり彼女もサイネに頼まれて調査に来ていたのかとアツキは思った。
表情が暗いところなんか、いかにも真剣に相談しに来たという感じでなかなか迫真の演技だ。
『あれ~、こんなとこで何してたの?』
だめ押しに何も知らない体で話しかけておこう、とアツキは微笑みつつ手を振った。
けれど彼女は答えなかった。
アツキをちらりと一瞥はしたが、そのあまりにも冷たい眼差しは、その瞳の奥に凝った激情の色はアツキの知るヒナトではない。
ヒナトの顔をした少女はアツキを無視してエレベーターに乗った。
金属の重い扉の向こうに消えた少女を呆然と見つめながら、アツキは呟いたのだ。
『違う、今の……ヒナちゃんじゃ、ない……』
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