data_059:手に入れたもの≠失ったもの
さすがに泣きそうになっていると、気付いたワタリがちょっと慌てたようすで立ち上がる。
少し珍しいものが見られたなと心の隅っこで思いつつも、とても今のヒナトにそれを眺める余裕はない。
ワタリはヒナトの肩にぽんと手を置きながら、優しい声で言った。
「ごめんね、いじわる言って。人それぞれ得意不得意があるから、ヒナトちゃんはヒナトちゃんの得意なところをがんばってくれればいいよ」
「あたしの得意なとこってなんですかぁ……」
「そうだねえ、いてくれると場が和むとかじゃないかな。僕とソーヤだけだと殺伐とするから」
「さつばつ……?」
なんだそれ、と小首を傾げたヒナトにソーヤが声をかける。
「あー、……ヒナ、茶淹れてきてくれよ。あれも最近、なんだ、多少マシになってきたしな」
「……! はい!」
「コータくんは何がいい? コーヒーか紅茶……あと
「えっと、じゃあ、ココアください」
ワタリのわかりやすい誘導にコータ少年は素直に乗ってくれた。
ともかく男子ふたりの精一杯の気遣いにヒナトはなんとか気を取り直し、ともすればやや機嫌を良くしながらオフィスを出ていく。
でも、だって、そうでしょう。
今のは一応はヒナトが待ち望んでいたとおりの、さりげなーいお褒めの言葉なのだから!
自分で成長していると思ってはいても、やはり誰かから──それもソーヤからの言葉があるのとないのとでは天地の差だ。
ふたりがかりでこんなにフォローされたのなんて初めてかもしれない。
さすがにコータというある意味での部外者がいたからだろうか。
最初はどうなることかと思ったけれど、これなら実習受け入れ期間もなんとかなるかも。
と、まあヒナトは鼻歌まじりに階段を下りるのだった。
・・・・・
一方、残った男子二人は秘書の出立を見送ったあと、そろって肩を竦めていたとは、ヒナトは知る由もなかった。
「あんまヒナに暴言吐くなよ。フォローがめんどくせえ」
「最初に爆弾投げたのはそっちだろ。まあ僕もつい悪ノリしたのは反省するけど……しかし『多少マシになってきた』ってのはさすがに雑すぎないか? それで喜ぶのはあの子ぐらいだ」
「そのヒナ相手なんだからいいじゃねえか」
ソーヤは溜息を吐きながらそう言って姿勢を崩した。
そして真顔でふたりの会話を聞いていたコータに、ここで見聞きしたことは他所で言うなよ、と耳打ちする。
秘書の扱いがあまりに雑なことがラボの人間に知れたらまずい。
今のところ問題になるほどひどくはないつもりだが、伝言ゲームで歪められるのが怖いのだ。
まかり間違っても「第一班では班長と副官による秘書いじめが横行している」などと伝えられたらまずい。
たださすがに今回に限ってはふたりとも言動がよろしくなかったという自覚がある。
よりによってガーデンから実習生を預かっているときにこれはいけない。
コータ少年は普段の第一班を知らないのだから、いつもこうなのだと思われては困る。
……あ、いや、普段もそんなに変わらないか?
「でも実際、お茶淹れるのは上手になったよね。誰に習ったのか知らないけどいいことだ」
「……タニラだろ」
「そうは思えないけど。何、本人から聞いたの?」
「聞かなくても味でわかる」
ワタリが嫌な笑みを浮かべてソーヤを見ている。
それを極力気にしないふりをして、ソーヤはドアのほうを見た。
ヒナトが戻ってくる気配はない。
もちろんさっき出ていったばかりなのだし、もともとヒナトはお茶汲みに時間をかけるほうなので、当たり前といえばそうなのだが、なぜだか確かめずにいられなかった。
沈黙を守るドアを睨みながら、ソーヤはまた溜息を吐きそうになった。
秘書たちの確執を知っていれば、タニラがヒナトに指導などするはずがないと思うのも無理はない。
むしろソーヤだってそう思う。
だからこそ驚いたのだ、ここ最近ヒナトの淹れてくるコーヒーが、前にタニラに淹れてもらったのと同じ味になったと気付いたときは。
飲みやすさでいえば格段に良くなった。その点に関しては、実際はマシになったどころではない。
それを素直に褒めてやれないのはソーヤ個人の問題で、ワタリもそれがわかっているから、ソーヤの弱さを嘲笑っているのだ。
ヒナトは何も悪くない。
だからソーヤも、ワタリに対して何も抗議ができない。
何もかもがワタリの言うとおりだ。
悪いのはソーヤであって、ヒナトではないのだ……元を辿ればタニラと彼女がたびたび揉めていたのだって、そもそも間に立っていたソーヤが仲裁するべきだったのに、しなかった。
できなかった。
そのうえ、それらをすべて棚に上げて、ソーヤの本心はこんなことを思ってしまう。
「……あのくそまずいコーヒーが飲みてえ」
「それを本人に言えばいいのに」
──言えるかよ。
ソーヤはやはりコータに向かい、俺がこんなこと言ってたなんてヒナトには絶対言うなよ、と含めておいた。
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