data_100:星に願いを

 果てしなく続く階段は、非常灯と廊下から漏れる明かりのみしかないために薄暗い。

 しかも電気のついている廊下は誰かが暮らしていてトイレのある階のみ、それも昼間に比べて明度を下げているようで、階段の奥まったところまでは光が届いていない。

 なんだかちょっと不気味で、疲れもあってヒナトの歩みは遅くなる。


 というかソーヤは大丈夫なんだろうか。

 ただでさえ病を抱えた身体で、階段を上り続けるのは負担にならないのだろうか。


 そんなことを思った矢先、ソーヤの手が前方から伸びてきて、ヒナトの腕を掴んだ。


「遅えんだよ、時間がおしてる」


 ヒナトがその言葉に何か言い返すことはなかった。

 そのまま腕を引かれてもたもたと階段を上りながら、またあの胸のドキドキ感に襲われてしまったためである。

 それに握られているところが熱いし、あと今さらながら借りている上着からソーヤの匂いがすることにも気付いてしまったのだ。


 暗くてよかったと心から思った。

 今ならどんなに顔が真っ赤でも気づかれないだろうし、喋らなくても、階段を上り続けて疲れているせいだと思われるだろう。


 なんだか頭がふわふわしてきて、足の疲れを忘れかけたころ、ようやく屋上に着いた。


 夜なのだし施錠されていそうなものだが、ソーヤは難なく扉を開ける。

 とたんに涼しい風が吹き込んできて、たしかにパジャマ一枚では冷えるのかも、とヒナトは納得した。


 昼間は洗濯物を干している場所だが、夜なのでそれらは撤去されていて、あるのは物言わぬ物干し台の隊列だけだ。

 なんだか昼に見るよりも広く思えるし、林立する鉄の柱たちがどこか気味が悪い。

 どうしてこんなところに、しかも苦労をしてこなければならなかったのか、未だにヒナトの疑問は晴れていなかったが、ソーヤはまだ何も言わずにヒナトをフェンスのそばまで連れて行った。


 山の中だけあって周囲は真っ暗だが、少し遠くには湖のように広がる明かりの群れが見える。

 色とりどりに輝いていて美しい。


「わぁ、きれーい……あれって街ですよね? みんな寝ないのかなぁ」

「ああ、昼間に寝て夜に活動する人間もいるらしいぜ」

「へー。……もしかして、あたしにあれを見せようと思ってたんですか、ソーヤさん」

「いや」


 ソーヤは両手をポケットに突っ込んで──ちなみに彼は私服姿だった──空を見上げた。


「もっと上を見てみな。もう


 不思議な言いかただった。

 まるで何かのイベントのようだが、ここは山の中でしかも夜だ。


 とにかくヒナトも彼に倣って空を仰いでみたけれど、真っ黒な空にあちこち星が瞬いているだけで、確かにそれも美しいといえばそうなのだが……。


「……あっ!」


 何かが空を走ったのが見えた。

 なぜ見えたかってそれが明るく輝いていたからで、つまりそれも、星の仲間には違いない。


「流れ星!? あたし初めて見ました! ソーヤさんは──」

「まだはしゃぐ段階じゃねえぞ。ほらまたきた」

「あっ、あっすごい! また!」


 ひとつ、またひとつと星屑が空を泳いでいく。

 闇の中を駆け抜けていく光はいったいどこを目指しているのだろう。

 もしかしたら、ひとつくらい花園に落ちてくることもあるんじゃないか、なんて思ってしまう。


 流れ星の数は少しずつ増えていくようだった。

 なんともいえない幻想的なその眺めに、ヒナトは時間を忘れて見入っていた。


 いくつか見届けたあとで『流れ星が落ちる前に三回唱えたら願いごとが叶う』という話を思い出したヒナトは、慌ててなぜか胸の前で両手を合わせる。

 もしかしたらポーズも重要かもしれないからだ。

 けれど星にお願いしたいことなんて、そうすぐに思いつかない。


 思わず横を見る。

 よくよく考えたらすごく近くにソーヤがいて、一瞬どきりとしたが、幸か不幸かかなり暗いので彼の顔はよく見えなかった。


 でも横顔なら見慣れているから、簡単に想像できる。

 毎日隣の席に座って見ているのだから。

 そしてこれからもずっと、その位置で──ソーヤが班長で、ヒナトは彼の秘書でいたい。


 ああ、それだ。


(お星さま、お願いです。

 ソーヤさんの病気が治りますように。それでずっと一緒にいられますように)



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