data_026:“鏡よ鏡、あなたはだあれ”

 照明もなく、カーテンの隙間から漏れ入る夕日のほかに光源のない薄暗い室内に、人間の形をしたものがいる。

 それもどこかで見たようなシルエットだった。


「だ、だ、誰ですか!」


 怖かったけれどとにかく声をかけた。

 もしかしたら他のソアの誰かが部屋を間違えたのかもしれない。


 いやさすがにドジと失態の星の下に生まれたヒナトですら、過去一度もそんな大ボケをかましたことはないのだが、可能性はゼロではない。

 むしろそうであってくれないと怖すぎる。


 だって、なぜ電気もつけずに暗闇の中で突っ立っているのだ? ヒナトの部屋で何をしている?


 ともかく相手の顔を見るため手探りで照明のスイッチを押す。

 ぱっと室内は明るく照らし出され、そこにはグリーンハウスの制服らしいものを着た、女の子の後姿があった。

 やはりどこかで見覚えのあるような、しかしまったく知らないソアの誰か……。


 そして彼女は、ゆっくりとヒナトに振り向いた。


「……ひえっ」


 ヒナトの喉がぶるりと震えて、そんなような声が出た、と思う。

 よく覚えていない。


 そこに立っているのは紛れもないヒナトだった。


 あ、あまりにも意味がわからない状況なのであえてもう一度言うが、そこに等身大の鏡でも置いてあるかのように、ヒナトに対面する"もうひとりのヒナト"の存在があったのだ。

 しかもその顔はなんだか、すごく怒っているように見えた。


 手にしていたカップを取りこぼさなかったのは奇跡だろう。

 震える手でなんとかカップをテーブルに置いて、ヒナトは改めてこわごわと相手を眺めた。


 ほんとうに同じだ。

 髪の色と長さ、肩の上での跳ねかたや毛先についた癖も。

 眼や肌の色、身長や肩幅、脚の太さ、制服からまったく窺えない胸の大きさに至るまで、何もかもすべてヒナトをそのままコピーしたみたいにそっくりだ。


「あ、あたし……なの……?」

「そうよ、あたしはあなたと同じもの」

「……ぎゃああ喋った!」


 その声もぞっとするくらいヒナトのそれとそっくりだった。


 しいて違うのはただ一箇所。

 何もかもダメダメであると悲しくも自負するヒナトがたったひとつだけ、これだけは人並みかそれ以上と誇っている、愛想というものが彼女からは感ぜられない。


 彼女の声は硬く冷たくて、けれど激しい感情が滲んでいて、それを向ける相手──ヒナトを押し潰そうとしている。


 情緒に鈍いヒナトもその悪意だけは察することができた。

 彼女はこの攻撃的な眼差しと声音とで、こちらを害そうとしているのだと。

 ヒナトに対して敵意を抱いているのだと。


「同じだけど、ぜんぜん違う……ねえ、あたしと替わってよ」

「か、替わるって何を……」

「あなたの代わりに、あたしが第一班の秘書になる」

「──っ」


 彼女はヒナトとそっくりな声で、ヒナトなら絶対に言わないことを言う。


「どうせ役立たずなんでしょう?」


 刹那、頭が真っ白になった。

 全身の感覚がなくなった。


 それはヒナトがもっともよく自覚している、そして、もっとも指摘されたくないこと。


 さすがに班の男子ふたりもそれほど直接的な言葉をかけてきたことはない。

 あの情け容赦ないタニラの嫌味でさえもう少し遠回しな表現だったように思う。


 何よりこの少女の外見が外見だっただけに、まるで自分自身に言われているような気がした。


 役立たず──以前ソーヤが倒れたとき、ヒナトは確かにそう感じた。

 いつも胸の中では思ってはいることだった。


 そして、最も傷つくとわかっているからこそ、決して口には出さないようにしている言葉でもあった。


「あ、あなた、だ、だれ、誰なの」


 声が震える。

 一音搾り出すたび、がちがちと歯がぶつかる。


「絶対だめ、ひ、秘書のしご、とは、……ぜ、ったいに、譲らないっ!」


 恐ろしかったが、ほとんど涙声になりながら、ヒナトはぶんぶんと首を振って拒否した。


 たとえ誰より仕事ができなくても、ヒナトは誇りを持ってソーヤの秘書をやっている。

 自分にだってこの立場を奪われるのは耐えられない。


 タニラに罵倒されるのとはまた異なった悔しさがあった、というか、どうして見ず知らずのそっくりさんなんかに否定されなくちゃならないのだ。


 彼女は表情を変えない。

 ヒナトの問いにも答えるようすはない。

 そのまましばらく無言の睨みあいが続いた。



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