data_027:『乗っ取ってやる』
やがて彼女は何かぽつりと呟いたかと思うと、そのままヒナトを押しのけて部屋を出て行った。
思いきり肩をぶつけていったので痛かった。
乱暴にドアを閉める音と、それからがちゃんと金属をぶつけるような音がして、そのあとにはただ静寂とココアの香りだけが残った。
なんだか妙に肌寒い。
そして、すごく疲れた。
体感的には小一時間も対峙していた気がしたのだが、カップから湯気が立っているところを見るとほんの数秒のことだったらしい。
な、
「なんなのあれ……」
とたんに気が抜けて、ヒナトはその場にずるずるとへたり込んだ。
夢でも見ていたのかと思ってそっと掌をつねってみたが、やみくもに痛いだけだった。
しかもちょっとドアのところまで戻ってみると、鍵がかかっていた。
ヒナトにしか操作できないはずの扉に。
やっぱりちゃんと施錠していたんだ、出かける前に。
それに、それにさっき、ヒナトそっくりの女の子が出ていく直前に呟いた言葉は。
『乗っ取ってやる』
たしかに、そう聞こえた。
思い返したら今度は完全に涙が出てきた。
……なにがなんだかわからないけれど、とにかく怖い。気持ち悪い。
彼女はなんなのだろう。
ソアは性質上、きょうだいも親戚も存在しない。
ソアにクローンを作るという話も聞いたことがない。
もし仮にそういう実験が行われているとしたら、そのソアはかなり優秀なはずだ。
ヒナトのようなちょっと規格落ちの疑わしいソアを複製する意味はない。
さすがにヒナトもそれくらいはわかる。
それにあの女の子はどうみてもヒナトと同じくらいの歳だから、あとから作ったクローンじゃあない。
では、じゃあ、何だ? 何者なのだ? 何のために作られたのだ?
なぜヒナトを憎んでいるのだ?
なぜヒナトの場所を奪おうとするのだ?
……乗っ取る、というのは、いつ、どこで、どんな形で行われるのだろう。
考えても考えても答えが見えず、身体が震えて止まらない。
落ち着こうとココアを口に含んでみたけれど、どんなにあったかくて甘いココアであっても、万能の魔法にはならないことをヒナトは初めて思い知った。
なぜならその夜のココアは、砂のような味がした。
・・・・・+
それから暗くなり、さらに夜が明けても、ヒナトの恐怖と不安は治まるどころか募るばかりで、普段の快眠もどこへやらの寝不足に陥った。
当然その状況でいろんなことがうまくいくはずもなく、とはいえミスをするのはいつものこと。
不出来なヒナトにあまりにも慣れていたソーヤとワタリは、もともとの性格も手伝って、秘書の彼女らしからぬ精神不調にはすぐに気づけなかった。
どうも変だな、と思ったときにはすでに昼休みの放送が流れ始めている。
さすがに同じオフィスの仲間といっても、食事の時間くらいはそれぞれ好きに過ごすようにしていたので、のろのろと出ていくヒナトを引き止めるわけにもいかず。
いや、こういうときくらい平生の図々しさを発揮するべきなのはソーヤだったのに、こうして明らかに落ち込んだヒナトを見るのは彼としても稀なことだったので、なんとなくそのまま見送ってしまったのだった。
ワタリはワタリで「責任は上司たるソーヤがとればいいや」という精神でいたために事態を見逃す流れとなったのであった。
それもある意味では日頃そういう方針でオフィスを運営しているソーヤに責任があるといえる。
ワンマン班長も考えものである。
「なんか変だったね、ヒナトちゃん」
「そう思ったんならちょっと聞くとかしてやれよ」
「え、それはソーヤの仕事でしょ? ていうか原因ソーヤじゃないの」
「俺は何もしてねーよ」
ソーヤは毅然として答えるが、ワタリは信用していなさげな視線を彼に送る。
普段が普段だけに致しかたないことである。
過去彼はいったい何度秘書を泣かせただろうか。
むろん理不尽なことを言ったり暴力を振るったりはしない。それは花園男児の行いではない。
ただちょっとコメントを辛口にしたりして反応を楽しんでいるだけだ、というとなんだか鬼畜の所業のように聞こえてしまうが、ソーヤとしてはそれも心外である。
それは悪気があってのことではなく、ちょっと成果の足りないヒナトを鍛えようという彼なりの気遣いだ。
少なくともソーヤはそのつもりなのだ。
「……その、あれだ。昨日ヒナも外出てたし、何かあったとしたらそっちじゃねえか」
「ふーん……外ってそんな恐ろしいとこなんだ」
副官の返事がいろんな意味で怖い。
それはともかく午後はどうしたものかと腕を組んだソーヤだったが、悩む暇もなくタニラが迎えにきたので、考えるのは昼食後にすることにした。
→
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます