data_047:こころの叫び / やどりぎの午後①

「……悪い」

「言う相手が違うだろ。やり直し」


 ワタリは手を離すと改めてソーヤをヒナトに向き直る形で立ち上がらせ、背中を軽くぽんと叩いた。


 ばつが悪そうなソーヤの眼差しは、まずヒナトの手に注がれて、ほんとうに怪我などしていないかを確かめようとしていた。

 実際もう痛くはないし腫れてもいない。声に反応してすぐに離してくれたのが幸いだった。


 一方のヒナトはソーヤの瞳を覗き込んだ。

 もうそこが泣きそうな色をしていないのをどうしても確かめたかったが、それにはもう少し時間が必要らしい。


 わずかな時間ではあったが、こうして無言で向き合っているのもおかしな感じがした。

 今までヒナトがこうして対面でソーヤの顔を見上げているというのは、大概なにかで失敗して、お小言やお叱りを受けているときだったから。

 だから眼を逸らそうとするのはいつもはヒナトのほうで、ソーヤではなかった。


「……悪かった」

「あたしも、聞いてたこととか、黙っててすいません」

「いや、……落ち着いて考えたら、タニラがおまえに話してる時点で相当切羽詰まってたってことだし……そうなった原因も、まあ、俺だよな」

「……前にソーヤさんが倒れたときですね」

「やっぱそうか」


 ソーヤは深く息を吐いて、もう一度腰を下ろす。

 そのとき少し困ったように笑んでいたのが印象的だった。


 やっぱり彼にとってタニラという少女は特別な存在なのだと、改めてヒナトは理解する。


 わかっていたことなのに胸の奥が冷たい。

 どうして、というかこの、先日からたびたびせり上がってくる感情はなんなのだろうか。


 ──あたしだって、ここにいるのに。


 ソーヤとタニラのことを考えるたびに内心で誰かがそんなことを呟くのだ。

 それが誰で、何の意味があるのかはヒナトにはわからない。


 わからないけれど、その声が日を経るごとに大きくなっているのは、気のせいではなかった。




 ・・・・・*




 サイネは横目でちらりと副官を伺うと、そこで作業の手を止めた。


 午後はどうしてもけだるい空気が流れがちだ。

 食後に血液が消化器に回ってしまうのは人間でもソアでも同じなので、やはり注意力が削がれたり眠気に襲われたりする。


 ゆえにサイネ率いる第二班では、一日の業務を滞りなく終わらせるため、効率の良い昼前に一日の予定の過半数を済ませるようにしている。


 しかも今日は訳あって午前から秘書のタニラが不調なので、作業の進捗はサイネとユウラに懸かっているといっても過言ではなかった。

 班長の主任務が班員の管理であることを鑑みれば実質の主体は副官になる。


「休憩にしましょう。タニラ、コーヒー淹れてきて」

「わかった」

「あとそうだな……消毒アルコールと抗菌クロスの補充と、電池の予備もほしい。

 持ってくるのはぜんぶまとめてでいいから」

「うん……いってきます」


 指示された内容をタニラは手早くメモにまとめ、オフィスを出ていく。

 彼女が扉を閉めたのを見計らってサイネはキーボードを叩いた。


 研究所の警備システムにたった一秒で侵入できるのもどうかと思うが、どうせこんな山奥で外部から侵入されることもあるまいし、盗む価値のあるデータはそれなりに厳重に守られている。


 サイネが触ったのはオフィス棟のごく一部、この第二班事務室の監視カメラだけだ。

 重要度も低いし上も気には留めない。


 予め用意してあった数種類の動画からひとつ選び、リアルタイムの撮影データに割り込ませる。


 ──見られること自体には慣れているが、たまには被検体のプライバシーを守ったっていいだろう。

 この場合はサイネのそれではないが。


「……大丈夫?」


 サイネにしては優しい言葉をかけた。


 立ち上がり、そのまま彼の膝の上に躊躇なく腰を下ろす。


 すぐさまこちらも無遠慮な腕が伸びてきてサイネの細い身体を包んだ。

 というか羽交い絞めに近い。

 苦しいんだけど、という抗議の言葉を聞いているのかいないのか、ユウラはそのままサイネの肩口に突っ伏した。


「ったく、どいつもこいつも世話の焼ける」

「すまん」

「……悪びれる気があるんだったら先に言いなさいよ。タニラのあれは急にエイワが顔出したんだから仕方ないとしても、あんたのは朝からわかってたんでしょ」

「それはそうだが……午前にそんな暇はなかった」

「だからそれも含めて聞くって言ってんの。無理かどうか決めるのはあんたじゃない、私の仕事」


 言いながら頭を混ぜくってやると、やめろ、と気の抜けた声でユウラが呻く。


 花園に、とくにソアにはまともな精神状態の者がいないが、その中でもユウラは重度の部類だとサイネは思っている。

 ガーデン時代からそうだ。

 いつでもどこでもサイネにべったりで──「眠り」を終えて以降は人目もあるので普段は控えているが。



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