data_068:医務部
ユウラがフーシャを抱きかかえる。相手は子どもとはいえ、こういうときは男手がありがたい。
その状態でタニラが少女の口許を手早く拭う。
できるだけ揺らさないようにと副官に言いおいて、サイネは壁の受話器を取った。
まず医務部に急患の連絡をしなければならない。
ユウラたちが出ていくのを横目で見つつ、電話口の相手にできるだけ端的に事情を説明する。
それから一班にも一報入れる必要があるだろう。
感染症の可能性は低いから、床の掃除はそのあとでもいい。
一旦受話器を置いて内線を切り替える。
誰に伝えるのがいちばん面倒がないかと密かに心配したサイネだったが、意外にも応対したのはワタリだった。
ふつう秘書が出るものだが、ヒナトは不在なのか転倒でもしたか。
「単刀直入に言うけど実習生が吐いた」
『おや。それは大変だね』
「呑気に構えないでくれる?
一応そっちの子も診てもらったほうがいいんじゃない。それと、ついだからあんたんとこの班長も」
『そうだねぇ。まあ、伝えるだけは伝えておくよ。わざわざどうも』
通話を切って受話器を戻しながら、サイネは深く溜息を吐いた。
面倒は少ない相手だったと思えばいいのか、それともむしろ厄介な相手だったと嘆けばいいか、前者で納得しきれないのは胸に残った不信感のせいだろうか。
それより息をするたび感じる吐瀉物の刺激臭のほうがもっと不愉快だ。早く片付けよう。
サイネは頭を切り替えるべく掃除道具の入ったロッカーを開けた。
・ … * … ・
二班からの不穏な連絡内容を聞き、ヒナトは恐れおののいた。
フーシャなら今朝会ったばかりだ。機嫌の良し悪しはさておいても、体調が悪いとは思わなかった。
それとも調子が良くなかったからこそ、コータの絵に過剰なほど反応してしまった部分もあったのだろうか。
なんにせよサイネの警告を受けて、コータを医務部に連れていくことはすぐ決まった。
ちなみにソーヤのほうは、ヒナトとワタリとで協力して批判がましい目線を送ってみたのだが、俺はいいとすげなく固辞されている。
そちらにもっと食い下がりたかったヒナトだったが、コータの顔色が目に見えて青ざめていたので諦めた。
もっともコータも体調を崩しているわけではないらしいが。
ともかくヒナトは少年を連れて医務部へ向かった。
ほんとうにその名前を耳にするときはろくな話を聞かないな、と思いながら。
医務部自体の雰囲気もよくなかった。
室内の空気はどこか淀んでいるようにも思えたし、そうでなくとも職員たちが慌ただしく行き交っているので落ち着かない。
誰かの手が空くまで座って待つよう指示され、とりあえず椅子を確保したが、コータはそわそわと通りすぎる人の顔を眺めていた。
不安を露わにしている大人たちを見て、少年の眼も赤らんでいく。
その隣でヒナトがしてあげられることと言えば、せいぜい小さな画家の手を握ってあげることくらいだった。
「お待たせ。とりあえず具合はどうだ」
しばらくして顔を見せたのはリクウだった。
前にもここで会ったが、この人はここが専任部署なんだろうか。
コータは彼と面識がなかったらしく、緊張したのか委縮した気配があったので、代わりにヒナトが訊いてみる。
「どっか痛いとこある? 気持ち悪いとかは?」
「……なんにも。平気」
「ちょっとおでこ触るよ。……んー、熱もないね。えっと、朝ごはんは食べた?」
「うん。……フーちゃんも食べてたよ。いつもと同じ、マーマレードのパンと、ミルク……」
ヒナトの手の中で、コータのそれが震えていた。
「問題はなさそうだが、一応体内スキャンを撮っておくか。こっちに来てくれ」
リクウが指示した検査に使う機械がある部屋まで、ヒナトはコータの手を引いて歩いた。
そうしないと、少年が道中あちらこちらに眼をやっては、すぐに立ち止まろうとしてしまうからだ。
コータの視線はフーシャを探している。
彼女がどこにいるのか、今どんなようすなのかを知りたいのだろう。
あるいは駆け寄って声をかけたいのかもしれない。
中途半端に仲裁された今朝の喧嘩のことが気になっているのかも、しれない。
けれど見える範囲に少女の姿はなく、何も手がかりが得られないまま少年は大きな箱に押し込められる。
「合図するまでじっとしてるんだぞ」
「……うん」
白く塗られた金属の扉が閉まる。
冷たい機械の中で、コータはどんなに不安だろうか。
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