data_083:ヒナト、ふたたび街へゆく
「あれ、そういえばサイネちゃんあのブラウスやめたの?」
「……私は初めから着る気なかったから」
「なーんだ」
てっきりあのあと押し通されて着る流れになっていたかと思っていたのに。
そのあたりをヒナトが知らなかったのは、じつはちゃんと聞いていなかったからだ。
同じ部屋にいたのにどうして耳に入らなかったのか、あるいは聞いていたのに忘れてしまったのかは謎だが、わりとそういうことってよくある気がする。
朝ソーヤやワタリに頼まれたことを、夕方もう一度言われるまですっかり失念していたりとか。
「でもスカートなんだ。おそろいだね」
「あんたのはタイトスカートでしょうが。こっちはフレアだから形、あと色もぜんぜん違うし……」
「どうせならニノりんたちと一緒に行動すればよかったかもねえ。まあ行先ちょっと被るみたいだし、どっかで会えるかも」
「……なにそれ? 聞いてないんだけど」
「あれ、そなの。珍し、サイちゃんてユウラくんには何でも話してるんだと思ってた」
「解放日の行先まで話すわけないでしょ……これくらいしかないのに……」
サイネが深々と溜息を吐いた。
なにが『これくらいしかない』のかはわからなかったが、ちょっと聞けそうにない。
そんな話をしているうちに車は街に着いた。
例によって緊急連絡ボタンを持たされ、使わずにお出かけを終えられるよう祈りながら、ポシェットのできるだけ奥のほうへしまい込む。
なんとなく以前より重く感じるのは気のせいだろうか。
久々の街は、相変わらずたくさんの音と臭いが入り混じっていて、くらくらする。
そしてなんだか、前と色合いが違う。
やはり迷子にならないようにとアツキと手を繋ぎながら、ヒナトは違和感の正体を掴むべくあたりをきょろきょろ見回して、いくつかの発見をした。
まずひとつは、当たり前だが、行き交う人々もヒナトたちと同じように軽装になっていること。
ショーウインドーのマネキンも夏らしい華やかな出で立ちに着替えている。
それに人の数がずいぶん多い。
若い人もたくさんいる。
それどころか、子どもをつれた夫婦らしい人も、前よりずいぶん多いと感じる。
「夏休みってやつなんじゃない?」
サイネに聞いたらそんな答えが返ってきた。
なんでも世間では特定の時期にみんなでまとまって休みをとったりするものらしい。
花園にもそういうのがあったらいいのに、とちょっと思った。
他にもあれこれ目に入ったものについて自由にくっちゃべりつつ、三人は街の中心寄りにある大きな建物を目指した。
それは百貨店とかいう、いろんな種類のお店が一か所に集められた、買い物に特化した施設らしい。
「だいたい何でもあるよね。服だけでもいろーんなジャンルが一度に見れちゃう」
「そ、……そんなすごい場所、なんで前回は行かなかったの!?」
「時間の都合と、あとはあんたが初開放だったからね。ただでさえ初日は浮足立つのにそれを助長するような場所に行ってみなさい、確実に迷子になるし、財布も空になるから」
二回目でもだいぶ興奮しそうな気配だったが、ひとまずサイネたちの気遣いに感謝しておいた。
ともかくヒナトは期待で胸を膨らませながら百貨店へ足を踏み入れる。
きらびやかな店内には、上品な設えのショーケースがずらりと並んでいた。
それになんともかぐわしい甘い香りが満ちていて、花園ではお目にかかれないようなシックな装いの大人のお姉さんたちが、ヒナトたちへにっこりと笑いかけてくる。
「ほぇぇ……なんか大人の雰囲気だよ……」
「ここは化粧品売り場だからねぇ。お洋服は上の階だよ~」
けしょうひん。なんか、近寄りがたい響き。
それともヒナトもいつか、いろんな問題が解決されて無事に大人になれたら、そんなものを使って自らを美しく彩ったりするようになるんだろうか。
口紅の並ぶスタンドに飾られたポスターの、どこか艶めかしいお姉さんのくちびるを眺めながら、エスカレーターとやらに向かう。
お……大人はああいうものを塗ってツヤツヤになった口で、恋人とキスとかしちゃうんでしょうか……?
想像したらなんだか恥ずかしくなり、あわや段差を踏み外しそうになる。
手を繋いでいたアツキまで巻き込みかけ、彼女もサイネも驚いていたが、ヒナトはもっと驚いた。
勝手にぐるぐる動く階段なんて初めて見た、これが噂に聞くエスカレーターってやつの正体なのか。
花園の階段もこれにしてほしい。
真面目な話、これならヒナトも落ち着いてコーヒーが運べる気がする。
「気をつけなさいよ、こんなとこで転んだら大怪我するんだから」
「ごご、ごめんなさい」
「こっちも言うの忘れててごめんね。エスカレーター初めてだもん、びっくりしたよね」
よしよしとアツキに宥められ、なんとか落ち着いて二階に辿り着けた。
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