プリン哀歌 ~混沌の第三班~

data_014:それは序章にすぎなかった

 今日もソーヤは平然と仕事をこなしている。

 お陰さまで、そろそろヒナトたちの心配も薄れてきた。


 しかしだ、心配は薄らいでもあまり問題はないのだが、注意力まで薄らぐとひどい目にあうということを忘れてはならない。


 ヒナトはそれを改めて噛みしめつつ、モップと雑巾を手に取る。


 同時に両方とも使うことはできないのだがそんなことを言っている場合ではない。

 この場合、二刀流になるくらいの気概が必要なのだ。


 ……茶色と黒とオレンジが世界地図を描いている、この無様な床を見るにつけ。


「じゃ、頼むねヒナトちゃん」

「ぜんぶ拭き終ったら呼びに来い。俺らは下のロビーにいるからよ」

「はーい……くすん」


 ワタリとソーヤはノート型のPCを小脇に抱えてオフィスを出ていく。

 残されたヒナトはというと、とりあえず水を含んだ雑巾をきつく絞った。


 思わず漏れる重い溜息。


 飲みものをこぼすこと自体はわりとよくあるミスだ。

 いや、もちろんそんなにしょっちゅうあってはいけないのだが。


 だからって一度にすべてぶちまけることはなかったんじゃないかと思う。


 とにもかくにも床が三色マーブルになってしまっては、仕事ができない。

 幸か不幸かヒナトのデスクトップコンピュータ(キャロライン)以外の各種機材に液体がかかることはなかった。


 それでヒナトが掃除をしている間、上官ふたりは別の場所で仕事をすることになったのだ。


 ここは四階、ロビーは一階。他のオフィスは三階で、五階から上はすべてラボに属する。

 ちなみにガーデンというソアの育成機関は隣の棟で、そちらにはソアや研究員の暮らす寮も入っている。


 四階にはこの第一班オフィスの他には使われていない機材やら何やらを詰め込んだ物置などしかなく、要するに今この階にいるのはヒナトひとりだ。


「う、寂しい……」


 ひとりになるのはあまり好きじゃない。

 給湯室に行くときも、たとえタニラでもいいから誰かいてくれといつも祈っているくらいだ。


 花園では小さい頃からいつも周りに誰かいて、滅多にひとりにならないから、慣れないのだろう。


 ──早くふたりを呼びにいこうっと。


 ヒナトは焦って雑巾を動かす手を速める。

 だが、うっかりコーヒー色の勢力範囲を拡げてしまい、ああもう! と自分に対して怒るはめになったのだった。



・・・・・+



 やっとこさ床掃除を終えたヒナトが一階に下りると、ロビーにはなぜかソーヤとワタリだけでなく第二班の面々までがいた。


 ロビーの大きなテーブルで仕事をするワタリはいい。

 何やらオセロっぽいゲームをしているらしいサイネとユウラもこの際どうでもいい。


 問題は何やら楽しげにくっちゃべっているソーヤとタニラだ。


 ……いや別にあのふたりが仲良さそうなのが問題だとかいうわけではない。

 ただそこはあのタニラのこと。

 よもや仕事を振り切ってソーヤのもとに駆け付けたわけではなかろうな。


 っていやそうじゃなくって、えーっと、ソーヤさんも仕事してくださいよ!


「あのー、お掃除終わりました」


 しかも話しかけたのに気づいてくれないときた。


 タニラなら気づいても無視しそうだから最初から期待はしていないが、ソーヤにまでこれだと、なんだかめげそうになる。

 ひどい。

 そりゃあまあ、なんとなく気が引けて声が小さくなっていることも認めるが。


 何度か粘るとやっと反応があった。

 いつものごとく、遅っせーよヒナ、と呆れ口調で。


 ひとりで片づけたんだから時間がかかるのも当たり前だと思うのだが理不尽だと思うのだが、タニラが恐ろしい表情をしているから我慢する。


 美人による憤怒の形相ほど背筋を凍らせるものが他にあろうか、いやない。反語。あと般若。


 そんなにソーヤとの語らいを邪魔されたのが腹立たしいか。

 といってもなんか話してるのはソーヤのほうばかりでタニラは聞き役に徹しているようだったが、それって楽しいのだろうか。


「タニラ、なんか飲むものちょうだい」


 ヒナトが蛇に睨まれた蛙になっていると、サイネから注文が飛んできた。


 そこですぐさま立ち上がるタニラからは、できる女というか有能秘書オーラみたいなものが出ている、気がする。


 むう、それならばヒナトもソーヤたちにお茶を汲んでこようではないか。


「あ、あのソーヤさ──」

「ソーヤくんも何か飲む?」

「あーじゃあコーヒー、ブラックでよろしく。あとワタリにも紅茶淹れてやってくれ」


 ……おい!


 言おうとしたことを遮られるわ仕事をとられるわ、看過できない事態にヒナトはむろん憤った。

 それはヒナトがすべきことだ。


「ちょっとちょっと、ソーヤさんの秘書はあたしですよ?」

「あらそうだったかしら。あんまりお仕事なさらないんで忘れてたわ」

「ぬうう、ていうかソーヤさんもさらっと他の人に頼まないでくださいよ! すぐ傍にあたしがいるじゃないですかっ」

「……分かれヒナ、俺は今すごーく、まともなコーヒーが飲みたい」


 ぐぬぬ……言い返す言葉もない……!

 っていうかこないだの「くそまずいコーヒーでいい」発言は撤回ですかこのやろう……!


 ヒナトは大人しくうなだれることにした。

 どうせ今顔をあげてもタニラが勝ち誇った笑みを浮かべているのが見えるだけだ。


 美女による勝利の微笑みほど神経を逆なでするものが他にあろうか、いやない。反語。



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