data_125:ヒナトの存在意義
会議が終わってもソーヤはオフィスに戻ってこなかった。
倒れたわけではないらしい。
ただあまりにも顔色が悪いのをサイネとニノリに見とがめられ、同席していた職員も彼らに同意したものだから、半ば無理やりに医務部に連れていかれたのだ。
そして事実、彼は発熱していた。
ヒナトたちが連絡を受けて駆け付けたころにはもう、ソーヤは病室のベッドの上で意識を失っていたので、何も話すことができなかった。
それどころか病室内に入れてすらもらえない。
飛び込もうとしたヒナトの腕を掴んで止めたのはリクウで、彼はただ静かに首を振った。
「離してください!」
「ダメだ。……今夜一晩は安静にさせなきゃならん」
「でもっ」
ただ傍にいたいだけなのに、リクウは頷いてくれない。
「ソーヤさん……」
戸口から彼の名前を呼んだが、返事はない。身じろぎひとつしない。
意識がないのだから当たり前だけれど、それがヒナトには耐えがたく辛かった。
泣き崩れそうになる身体を誰かが隣で支えてくれている。
ミチルはありえないからワタリだろうが、それを確認することすらできないほど悄然としていたヒナトは、そのまま引きずられるようにして医務部から出された。
そこからどうやって自室に戻ったのか覚えていない。
夕食や風呂の記憶も曖昧だが、たぶん誰かが気を遣ってくれたのだろう、気付けばちゃんと寝間着を着て翌日の朝を迎えていた。
眼を開けた瞬間かすかに痛みを感じるほど目の周りが腫れている。
のろのろと起き出したヒナトは、針金のようにこわばった身体を無理やり制服に通して、冷たい水で顔を洗った。
それから食堂に降りて、砂を詰めたように重たい胃へ事務的に朝食を流し込む。
頭なんてほとんど動いていない。
身体だけ機械的に『いつもどおり』を演じているだけで、ヒナトの眼は何も見ていないし、誰の声も聞いていない。
たぶんそれは無意識のうちに心を守ろうとする行動でもあった──今はどこを見たってソーヤの姿はないし、どれほど耳をそばだててもソーヤの声は聞こえないのだから。
わかっていても、オフィスに彼がいないのは辛い。
始業時間ぎりぎりに部屋に入ってきたヒナトのことを、優しく責めてくれる声がないのは寂しい。
「おはよう」
「……おはようございます」
心なしか、ワタリの表情も暗い気がした。
「ソーヤのことなんだけど、ひとまず熱は下がったらしい。とりあえず今日一日はようすを見るから休みだって」
「あ、……じゃあ意識は戻ったんですか?」
「うん」
「よかった……!」
「……、うん」
どこか噛み締めるように頷いて、ワタリはコンピュータに向き直る。
ヒナトも自分の席に座った。
隣のミチルはすでに作業を始めていて、ソーヤの体調やそれに対するヒナトやワタリの反応については興味などなさそうだ。
どうしてそんなに冷静でいられるんだろうと、ヒナトは不思議に思った。
第一班に配属になってからまだ日が浅いせいかもしれないが、それでも自分だってソアなのだから、アマランス疾患に関しては彼女にだって起こりえることだろうに。
ある意味その冷静さが羨ましくもある。
ヒナトはいちいち色んなことに大げさに驚きすぎてしまうし、ことにソーヤに関しては喜びにしても悲しみにしても感情が大きく揺り動かされるので、自分でもたまに疲れることがあるくらいだ。
喜びが大きいだけならよかったのに。
歯噛みしつつ、コンピュータを操作する。
ヒナトはみんなのように賢く作られたソアではないが、たとえ無能と罵られようと、少しでも業務の手伝いをしなければならない。
なぜなら午後には確実に休憩時間を設けて、ソーヤに会いにいかねばならないからだ。
目標があるとがんばれるような気がする。
闇雲に走ろうとしてもすぐ転んでしまうけれど、その先に大好きな人がいるのなら、立ち上がれる。
(だって、あたしはソーヤさんの秘書だもん)
自分がみんなと違っても、ヒナトの存在意義を定めてくれたのはソーヤなのだ。
彼がヒナトにこの肩書きをくれた。
それだけで充分すぎるから、他には何もなくたっていい。
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