data_136:それぞれの思惑
自分が出来の悪い人間だということは自覚している。
もともと天才児として作られたソアではないこともそうだが、それを抜きにしたって、備品を壊したり転んだり予定の管理ができなかったりするのは無能の域に入るだろう。
誰かの助けになるどころか、いつだって周りの足を引っ張ってばかりいる。
けれどヒナトはそういう己のダメなところを、あまり悲観しすぎないようにして生きてきた。
虚勢を張っていたというより、そんな自分を己の補佐として指名したソーヤという人間がいたから、それがヒナトの支えだった。
何ができなくても、何をしくじっても、ソーヤさえヒナトを見捨てないでくれるならそれでよかった。
だから秘書の肩書きに固執してきたのだ。
それを取り上げられてしまったら、もう何も残らないと感じていたから。
なのに、ここ最近ヒナトがしていることと言えば、その何より大切な『ソーヤの秘書』の立場をミチルに譲るための工作だ。
オフィスに彼女が馴染めるように、そして他班の友人たちとも親しめるように仲立ちをしている。
言ってしまえばヒナトのこれまでの生活を切り売りしているようなもので、頭では必要なことだからと納得できても、心がすり減るのは当たり前だろう。
ほんとうは、そんなことしたくない。
傷つけてくるとわかっている相手にわざわざ関わりたくない。
向こうにしたって迷惑だろう。ミチルはヒナトのことが嫌いなのだ。
どうしてここまで嫌われたのかは、実を言うと未だにはっきりとは知らないのだけれど、とにかく根深い感情らしいことはヒナトですら察している。
でも、やらなくてはいけない。
たぶんもう時間はあまり残されていない。
──いつかヒナトがいなくなったときに、代わりにソーヤを支える秘書が必要だから、ミチルに任せるしかないのだ。
・・・・・*
このところヒナトが挙動不審でない日などないが、今日はとくにおかしいらしい。
幸いなのはここ数日と違ってミチルにうざったく絡んでこないことで、つまりやたら時間をかけて給湯室から戻ってきたあとは人が変わったように静かに大人しくしていた。
そのようすはミチルがオフィスに来た当初の彼女を思い出させるが、かといって落ち込んでいる風でもない。
ただじっと椅子の上で縮こまっているだけ。
どうせなら何か弱味を握りたいミチルとしては、ようすが変わった原因を知りたい。
先に戻ってきたソーヤにはワタリが何か言っていたし、それに聞き耳を立ててはいたが、彼らのやりとりからは何も想像がつかなかった。
これは関わった時間の違いなのかもしれない。
それはそれで腹が立つ。
もしソーヤの『眠り』に問題が起こらなかったら、初めからここにいたのはミチルだったはずなのに。
おもむろにヒナトを睨むと、ふとヒナトがこちらの視線に気づき、少し驚いたような顔をした。
「……ど、どうかした……?」
「べつに。……あ、そうだ。これちょっと見て」
「え、えと? ……えーと……」
ちょっとした思いつきで作業中の画面を見せると、ヒナトの表情がどんどん困惑に染まっていく。
前から気付いてはいたが彼女は暗号化された文章が読めないのだ。
解除式がコンピュータに組み込まれていないため、個々で記憶して複数の解読式を脳内で組み合わせるというアナログな方法が必要になるが、ソアでないヒナトにはそんな芸当はできない。
こちらが何を尋ねたのかわからないのだろう。
泣きそうな顔になりながら、うまくかわす言葉も思いつかずに口をもごもごやっている姿が滑稽で、ミチルは思わず吹き出しそうになった。
「どうかしたか?」
何て言っていじめてやろうか考えていたら、背後から声がかかる。
振り向くと少し機嫌の悪そうな紅い眼がこちらを睨むように見ていたので、さすがにミチルもちょっと驚いて、喉がひゅっと小さく鳴った。
「……べつに、何も……」
「問題があるようなら俺に言え。それがヒナやワタリのことでもだ、まず班長の俺を通せ」
「わかりました。……でもほんとうに、大したことじゃないですから」
「ならいい」
ふんと鼻で息をして、ソーヤはデスクに向き直る。
その尊大な態度と口調、そして何よりさっきのあの眼つきに、ミチルは言いようのない感情が噴き上げてくるのを感じていた。
腹の底がぞわぞわする。
なぜミチルがあんな眼差しを受けなければならないのだ。
こっちは何年もおまえたちのせいで苦しんできたというのに、恨みを吐くことすら許さないつもりか。
ぎりぎりと奥歯を噛み締めながらミチルも姿勢を戻す。
だがもう画面上の文字など目に入らないし、瞳に映したところでそれを読もうという気にはなれなかった。
どうにかこの感情を晴らしたい。
ソーヤがそれほどヒナトを大切に思うのなら、ヒナトを痛めつけたら彼も傷つくだろうか。
しかしそれでまたミチルに怒りを向けてくるのも癪だし、先にソーヤを潰したほうがいいのではないか、しかしどうやって──どうせ放っておいてもそのうち死にそうなやつに手を出す意味があるか?
あれこれ考えて、そして、もう一度ヒナトを見た。
また小さくなってこちらも考えごとに耽っているようすだが、ミチルのそれと違うのは、彼女が頬を赤らめていることだった。
ソーヤに庇われて嬉しくなっているのだろうと思うと、その顔に唾を吐きかけてやりたい気持ちになる。
だが、敢えてミチルは笑った。
誰にも気づかれないよう静かに、かすかに、そして最大限の悪意を込めて。
──次の手を思いついた。
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