data_155:彼が二度目に失くしたもの
エイワの態度が妙だった。
彼の浮かべていた悲しげな表情が、ソーヤの思ったとおりワタリと同種のものなら、この時点でソーヤは大きな思い違いをしていたことになる。
そして、オフィスに感じたあの違和感。
嫌な胸騒ぎがして、医務部に戻ってからも寝付くことができずにいた。
何か納得がいかない、何か、重要なところでパズルのピースを間違えて無理やり嵌め込んだような、この据わりの悪さは一体、どこから来ている。
最終的に、我慢できずにベッドから飛び出した。
歩きながら考えた。
ワタリとエイワは何を悲しんでいた?
他のソアの反応はどうだった?
タニラは泣いていたし、アツキも泣いたらしいようすだった。
思えばサイネもようすが変だったし、ユウラがこちらを見たのは、もしかするとあれは睨まれていたのかもしれない。
あのユウラがそういう態度をとる理由などひとつしか考えられない。
サイネが何かで苦しんでいて、その原因がソーヤにあるから彼に敵視されたのだ、としか。
似たような仏頂面でわかりづらかったが、あるいはニノリも、アツキに対する似たような理由で、こちらに怒りを向けてはいなかったか?
考えれば考えるほど歩調が早まり、最後にはほとんど走っていた。
階段を駆け下り、目指すのは己のオフィスだ。
最初に強い違和感があったのはここだったから、もしかすると何かヒントがあるかもしれないと思ったのだ。
もう就業時間は終わっている。それに夕食の時間も近く、誰が戻ってくるようすもない。
もともとこの階には他のオフィスもないから、夕方以降に人気はない。
扉を開け、電気をつけて、無人のオフィスを見回す。
妙にきれいに整頓されて掃除も行き届いている。
本来なら極めて快適なはずのソーヤの城は、なぜだか今は、他人の縄張りのようで居心地が悪い。
この環境からわかるのは秘書が優秀だということで、それの何が悪いというのか。
――なんか文句あるんですか、と脳内で想像上のミチルに罵られながら、その文句も尤もだとさえ思いながらも、ソーヤは納得できずにデスクに向かう。
向かって右手にワタリのデスク。
反対側の左手にミチルのデスク。
並んだ机はもちろん三つで、もちろんおかしなことではない。班編成は三人一組が基本だ。
なのに、やはり何か物足りなく感じる。
その原因がわからないまま、なんとなしに椅子に座る。
だいたいミチルだ。
あの仕事はできてもかわいげのない少女を、ソーヤはどうして秘書に選んだのだったか。
優しくて愛想のいいタニラを差し置いてまで、なぜ。
なぜならソーヤが思うに、秘書に求めるべきスキルというのは仕事の出来不出来よりも、己をどれだけサポートできるかなのだ。
オフィスの環境を整え、班の空気を良くし、そして何よりどれだけソーヤの命令に従えるか――そのいちばん重要な部分がミチルには決定的に欠けている。
「そもそも……前はもっと……笑ってなかったか……?」
気付けばそう呟いていて、ソーヤは己の言葉にはっとした。
たしかにソーヤの記憶の中に、かなり薄れて掠れてはいるけれど、ミチルの微笑んだ顔が残っているような気がする。
そんなものいつ見たのかまったくわからないけれど、あの彼女が笑うとは到底思えないけれども。
もしかすると己の願望から生まれた妄想か、と半ば諦めかけて、一旦帰ろうと立ち上がる。
そして振り向いた、そのときだった。
なぜか花瓶が目についた。備品をしまった小さな棚の上にある、何の変哲もないプラスチックの花瓶だ。
そこに刺さっているのは水の要らない造花で、鮮やかな黄色をしている。
花の名前は誰でも知っている、もはや季節外れになってしまった、夏の花の代表格――ひまわり。
それを見た瞬間胸がずきんと痛んだ。
わけもわからず駆け寄って、むしり取るようにして花瓶を掴む。
かつん、とおかしな音がしたので手のひらの上でひっくり返すと、造花と一緒に中から妙なものが転がり出た。
きらきらと輝くそれは、造花と同じ形をした安っぽいブローチだった。
「あ」
脳内のパズルが音を立てて震える。
間違っていた偽もののピースがぼろぼろと崩れ、そこに確かな穴が開く。
「あ……あぁ……」
ソーヤがその場に崩れ落ちたのと同時に、扉が開く音がした。
ついでに誰かの声も聞こえる。何人かいるようだったが、ソーヤはもうそちらを見る気力も声を聞く余裕もないので、誰がいるのかはわからない。
ただ、駆け寄ってきた人物ならわかる。
堪えきれずにその場で嘔吐してしまうソーヤを、制服が汚れるのも構わず抱きかかえているのは、他ならぬ副官だった。
吐瀉物に遅れて透明な液体がいくつも落ちる。彼も泣いている。
そのあとどうしたのかはもうよく覚えていない。
たぶん他の誰かが医務部に連絡を入れ、もはや自力で歩けなかったソーヤは担架で運ばれた。
そして鎮静剤でも打たれたのだろう。
気がつけば眠っていた。
そして、夢を見ていた。
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