沈丁花の長い夜

data_156:むかしばなし

 その日ソーヤが目覚めた場所は暗闇だった。

 何も見えないおぞましい暗黒の中で、真っ赤なランプだけが毒々しく輝いていたのを、きっと一生忘れることはないだろう。

 恐怖にもがき、上手く動かない手足を無理やりバタつかせたところで、植木鉢の蓋はすぐはに開いてくれなかった。


 ようやく蓋が開いたころには涙さえ滲んでいた。

 がくがく震える腕で、機械の縁に縋りつきながら必死で身を起こしたところで、彼は自分に起きた悲劇を理解する。


 ここがどこだかわからない。自分が誰かもわからない。

 あたりは薄暗く、人の気配もまったくないうえに、機械は簡素な壁で囲まれていて周りがどうなっているのかもわからない。

 そのうえ、ここを出て周囲を調べようにも、手足がまるで言うことをきかないのだ。


 なすすべなく縮こまっていると、どこか近くで空気の抜けるような音がした。

 下のほうから聞こえるようなので、顔だけそっと出して窺ってみると、機械の側部から引き出しのような要領で一部分がせり出しているのが見えた。


 そこに、人間が入っていた。

 何か半透明の粘液のようなものに包まれていて見えづらいが、体格からしてまだ子どもだろう。


 その粘液が急にぼこりと泡を噴いた。

 頭部のあたりだ。


 呼吸をしている。

 この人間は生きている。

 泡をいくつも吐き散らして、そいつは酸素を求めている。


 苦しそうなようすに、助けたほうがいいのではないかと思いつつも、ソーヤの身体がまともに動かない以上は見ているしかできなかった。


 しかし意外とすぐに人が現れたので、その子はあまり長く苦しまずに済んだ。

 白衣を着た大人が数名、ソーヤやその子どもを取り囲んで何やら喋り、ソーヤは呆然としながら、彼らの質問にいくつかの否定を返した。

 つまり、何を聞かれてもわからないとしか答えられなかったのだ。


「うー……ぁー……ッ」


 質問の最中に急に子どもが声を上げたので、ソーヤは驚いた。


「けほッ……んー……にゃ……あ……さむ……い」


 それはか細い声で、寒い、と確かに言った。

 白衣の大人たちは顔を見合わせ、何人かでその子を担いでどこかに連れて行った。



 そのあとソーヤは医務部に移され、さまざまな説明を受けた。


 ここが山奥にある研究所で、ソーヤはそこで研究されている技術を用いて生まれた実験体であり、第二次性徴の時期に合わせて長い休眠を取っていたこと。

 だが機械に何らかのトラブルが発生し、休眠が不十分なのに覚醒してしまったらしいこと。

 記憶喪失を起こしたのはそれが原因だろうとも。


 ソーヤは一挙に与えられた大量の情報に戸惑い、パニックに陥った。

 しばらくは混乱のあまり食事もまともにできないほどだったし、落ち着いてからも、無気力な状態が続いた。


 リハビリをしようとしないソーヤに研究員たちは頭を抱えたが、どうしようもない。

 歩けるようになっても、会いに行きたい相手がいない。いたかもしれないが思い出せない。

 同期が何人かいると聞いたが、どんな反応をされるかと思うと異常に恐ろしく感じてしまうので、むしろ動くことを拒んでさえいた。


 なんとかソーヤの気を変えようと、カウンセリングじみた対話を何度かしている中で、あるときソーヤはぽつりとこう言った。


「……あいつは? 植木鉢の中から出てきた……」

「会ってみたいの?」

「べつに……」


 なんとなくの発言だったが、たぶんそれが、ひとつの転機だった。



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