data_157:植木鉢(プランター)から来た少女

 研究員と問答したその日の午後、ふてくされるソーヤの顔を、いきなり無遠慮に覗き込んできた顔があった。


 ふわふわ跳ねた明るい金茶の髪と、人懐こそうな幼い面立ち。

 うぐいす色のまんまるの瞳に、驚いた表情の自分が映り込んでいて、ソーヤはそれで己がどんなに暗い顔をしていたのかを知った。


「……何だおまえ?」

「え、……あたしに会いたいってヒト、あなたじゃないの?」

「は?」

「えーだって、そうやって言われたのにー」


 むう、と不満げに頬を膨らませた少女は、そのままソーヤの枕元に肘をついた。


 なんだこのガキ、と言おうとして思い出す。

 そういえば今朝のカウンセリングで、植木鉢から出てきた妙な子どもの話をしたところ、会いたいのかと尋ねられたことを。

 ソーヤは肯定しなかったのだが、もしかしなくてもそれがこいつなのか。


 正直な感想としては、想像してたのと少し違うな、だった。

 自分があれから毎日ずっと塞ぎ込んでいたのだから、同じときに眼を醒ましたらしい彼女も、同じように沈んでいるものだと勝手に思っていたのだ。


 たぶん、今朝言及したのもそのせいだった。

 記憶を失くし、仲間のところに戻れず、精神的に孤独になってしまった己のことを、理解できる人間がいるならきっと彼女だけだろう。

 そうに違いないと、心のどこかで期待していたのだ。


 だが現実はこれであり、なんの慰めにもなりそうにない。


 少女はいつの間にか立ち上がって、部屋の中をぴょんぴょん跳ねまわっていた。

 なんというか見た目以上に言動が幼い。


「おまえ何しに来たんだよ」

「んーと、ソーヤってヒトがっ、落ち込んでるから、励ましてっ、て」

「はあ。で、今は何してんだよ」

「スキップしてるっ」


 いやその動きはスキップとは違う。少なくともソーヤの知るスキップとはまるで異なる。


 でもって己に課された使命を無視して何ひとりで遊んでるんだおまえは、と喉元まで出かかったソーヤだったが、しかし黙り込んだ。

 なぜならそのとき、ちょうど彼女が振り向いて、にへらと笑いかけてきたからだ。


 そんな顔は初めてみた。

 目覚めてからずっと、ソーヤの周りの大人たちはみんな険しい顔か、あるいは疲れた悲しい表情ばかりを浮かべていたからだ。

 ソーヤ自身もろくな顔をしていないから、ここ最近はまともに鏡も見ていない。


 だから、少女の屈託のない笑顔が、ソーヤの心に朝の陽ざしのように降り注いだのは、紛れもない事実だった。


 記憶がない自分を同期たちがこんな笑顔で受け入れてくれるはずがない。

 だからたぶん、この世でソーヤに笑いかけてくれるような変なやつはこの子だけだ――このときは真剣に心からそう思った。


「あたし、これ好きっ、なんだぁ。ね、ね、いっしょにやろ? そのほうがっ、楽しそう」


 跳ねながらそう笑いかけてくる少女に、ソーヤも思わず苦笑してしまう。


「……いや、その前にまず歩けねえし」

「えー? あー、そっか、あたしも、最初、ぜんぜん、歩けなかった!」

「そりゃそうだろうな。……って、じゃあ、もうそこまで回復したのか?」

「えへへ、がんばったぁ」


 リハビリに要する期間がどの程度なのかを知るわけではないが、ソーヤには衝撃的だった。

 ほぼ同じタイミングで眼を醒ましたのに、やる気があればこうして跳ねまわることもできて、そうでない己は未だにトイレすら自力ではままならない体たらくなのだ。

 この差はあまりにもひどすぎる。


 愕然としたが、同時に身の内に火が灯った。


 その日から、ソーヤは真剣にリハビリをするようになった。

 傍らにはいつも少女がいて、無邪気にソーヤを励ましたり、ふざけて挑発してきたりした。


 努力の甲斐あって、思ったよりも早く歩けるようになった。

 それ自体でもかなりの達成感を味わえたが、少女が自分のことのように大げさに喜んでいたのが、何よりソーヤの心を救った。

 自分が回復することで、誰かが喜ぶのだという事実が嬉しかったのだ。


 今度はソーヤが彼女に何かを与えたかったが、病室の中でできることなどたかが知れている。

 とりあえずは最低限の行儀作法やら言葉遣いなど、せめて歳相応の落ち着きを身につけさせようと思い、かなりあれこれ口出しした。


「いいか、ここを出たらGHって階層に入る。そこじゃ班を組んで事務作業なんかのシミュレーションをするらしい。

 そこでそんなふざけた態度取ってたらおまえ、干されんぞ」

「えー」

「その返事やめろ。いいか、俺の言うことにはまず『はい』で答えろ」

「え……えと、は、はいっ」

「よし」


 少女は素直に従った。

 彼女としても、他にいるのはろくに遊んでくれない大人たちばかりだからか、一日じゅう構ってやれるソーヤにかなり懐いていたのだ。


「ソーヤさん、そのGHってとこ行ったら、もうあたしと遊んでくれないのー、です?」

「語尾が……いや、っつーかわかってねえな。おまえも行くんだよ」

「えー……あ、はい」

「……。おまえいろいろヤバそうだしな、俺と同じ班になるように頼んどくか……うん、班長が俺で、副官はなんか大人しそうなやつにしといて、秘書がおまえな」

「ヒショ?」

「俺の補佐ってことだよ。いいだろ?」

「はい! よくわかんないけど、あたしソーヤさんのヒショやるです!」


 理解できていないくせに、少女は満面の笑みだった。

 それがとても、……かわいかった。



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