data_170:居場所なんてない

 居場所がない。

 このごろずっとそればかり考えている。


 ヒナトがいなくなったのに、そのぶん席が空いたはずなのに、そこにミチルが入る余裕はない。

 それはソーヤやワタリの中に依然としてヒナトが確固たる存在として残っているせいで、彼らは今もヒナト以外を必要としていない。

 だからミチルには、居てもいい場所がないのだ。


 そしてそんなことを考えてしまう自分自身のことが腹立たしかった。

 現状を嘆くというのはつまり、心のどこかで必要とされたがっているということだからだ。大嫌いで憎らしいはずの彼らに対して。


 ふたりは今日も熱心にヒナト復活計画を進めている。

 その背中を睨んでいるとき、きっとミチルはひどく醜い表情をしていることだろう。

 なぜならもう一度ヒナトがオフィスに戻ってきたら、ただでさえ行き場のないミチルは今よりさらに孤立してしまうと、もう今からわかりきっているからだ。


 どんなに詰っても、仕事を取り上げても、きっとヒナトはめげない。

 それにソーヤもワタリも、もう二度と彼女を手放そうとはしないだろう。


 ――『要らない』のはヒナトじゃない。ミチルのほうだ。


「あ、結果出てる。……予測値に比べて随分低いね」

「もっと条件絞らないとダメだろうな。仕方ねえ、明日は直接ラボに行くぞ。一日出ずっぱりでもいいように、通常分は今日中にまとめて終わらせとけ」

「了解。ミチルも応援頼むね」


 ソーヤの無茶なオーダーを、ワタリは文句も言わずに受け止めるどころか、同じ苦労をこちらにまで押し付けてくるつもりらしい。

 こんな時だけ都合よく、ミチルを第一班の部品のように扱うのか。


「……ミチル?」


 咄嗟に返事ができなかったミチルを、ワタリが心配そうな顔で呼ぶ。それでようすがおかしいことに気付いたソーヤまでもがこちらを見る。

 ふたりの表情がさっと曇って、それがまるで鏡のように、ミチルが今どんな顔をしているのか告げていた。


 嫌だ、という声が頭の中にぽつりと浮かぶ。

 嫌だ。それがだんだんと大きくなり、強く響くようになる。

 嫌だ。やりたくない。ヒナトに戻ってきてほしくない。そのための作業なんて手伝いたくない。


 ――あたしを、ここから、追い出さないで。


「い……やだ……ッ」


 気付けばそれは声になって口から零れ出て、膝の上で震えていた拳の上にぼとぼとと降り注いだ。


 困惑の眼差しがミチルを刺す。抉られたところから真っ赤な血が噴き出して、ミチルの視界をぜんぶ赤く染めてしまう。

 ……もちろんそんなこと実際に起きているわけはないが、そんな幻覚に怯えてしまうほど、今のミチルはひどい恐慌状態に陥っていた。

 何か声をかけようと伸びてきた誰かの手を振り払い、椅子を倒しそうな勢いで立ち上がる。


 そしてそのまま、オフィスを飛び出した。


 行く場所なんてどこにもないのに。

 追いかけてきてくれる人なんて、いないのに。



 ・・・・+



 ミチルが事務室から逃げ出したのと同じころ、彼女のように切迫してはいないものの、同じことを試みたソアがもうひとりいた。

 一階下の第二班、秘書のタニラである。


 サイネとユウラがそれぞれ違う意図の視線を投げかけてくるものだから、タニラはどちらに従うべきか考えあぐねていた。

 いつもならあまり迷わずにサイネを選ぶ。

 班長の指示を優先するのは当たり前かつ自然なことで、結果としてそれがいちばん角が立ちにくいからだ。


 しかし今日ばかりはユウラの機嫌が悪すぎて、彼を無視するのはどうにも気が引けた。


「洗いもの、してくるね」


 彼らのカップが空になったのを見とめ、タニラはこれ幸いと立ち上がる。


 もしかしたら止められるかもしれないと思ったが、ちょっと眉を顰めただけで何も言わなかったあたり、サイネもやはりユウラを気にしているのだろう。

 それを意外とは思わない程度には、タニラも二班の秘書である。


 トレーに必要なものをまとめて載せ、ついでに足りない備品がないかを確認する。

 しかし変な話だが日頃の手際がよいため、どれも充分な量の予備があって、今わざわざ補充する必要のあるものはなかった。

 たまには手抜きをするのも必要かもしれない、だなんてことを秘書になって初めて考えながら、タニラはいそいそとオフィスをあとにした。



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