最後のひとりがやってくる

data_045:過去からの来訪者①

 例によってあれからソーヤが体調不良を申し出ることなく日々がすぎた。


 だからといって何ひとつ安心できない。

 黙っている可能性を知ってしまった以上、ヒナトはちらちら彼のようすを伺ったり、それで気が散って何かやらかしたりと、良くも悪くも相変わらずだ。


 しかもそのつど後始末に時間をとられてしまい、ラボの聞き込みも進んでいなかった。


 そんなわけで、今日もヒナトがもやもやした気分を噛み締めながら拙い作業をしていると、第一班オフィスにノックの音が響いた。


 来客対応は秘書の仕事だ。

 ヒナトは立ち上がりながら、ラボの職員だったらソーヤの体調のことを密告してやろうと思い、ちらりと班長を横目に伺った。

 彼はヒナトにも客にも関心がないようで、一瞥もくれずにマウスをかちかちやっている。


 顔色は、問題なさそうに見えた。外見でどれくらい判断していいのかはわからないけれど。


 ともかく返事をしつつ扉の前まで行ったのだが、ヒナトがドアノブに手を伸ばすよりも先にそれがくるりと回った。

 開いたドアの陰からひょっこりと見知った顔が覗く。


 まず、先頭にアツキとタニラ。この時点で珍しい組み合わせだ。

 よその班の秘書たちが揃っていったい何の用なのか、不思議に思うヒナトの瞳に、その背後に佇むもうひとつの人影が映り込む。


「お、この子がソーヤの秘書?」


 服装はGH所属のソアの制服であるようだったが、顔や声に覚えはない。


 くせのついた暗すぎない茶髪に、くりっとした紫紺の瞳が人懐こい印象のある、ヒナトより少し歳上らしい男の子だった。

 これといって目立つ特徴はないが、しいていうなら笑顔がとても爽やかだ。


 ごく自然に握手を求められ、ヒナトも意識すらなく気付けばすんなり握り返していた。


 そこで脇に退いていたアツキがいつもと変わらないほんわかした調子で口を開く。


「紹介するね、ヒナちゃん。こないだ話したエイワくんだよ」

「あっ、初めまして」

「よろしく。ソーヤの相手すんのも大変だろ? いつでも相談してくれよ。

 逆に俺もGHここじゃ後輩だから、何かあったら頼らせてもらうからさ」

「……ああーえっと……あはは……」


 そんな返答に困るようなことを初対面でぶっこまないでほしい。

 苦笑いしかできないヒナトを見て、フォローしかねたらしいアツキも曖昧に笑っている。


 そんな女子たちをどう捉えたのかエイワはからから笑い、それからオフィスの奥へと視線を走らせる。


「で、……おいソーヤ、久しぶり! あとワタリも!」


 彼はとびぬけて明るい声で一班の男子たちにそう声をかけた。


 けれどもヒナトの眼には、その隣でタニラがひどく困った表情でおろおろと双方を見やっているのがはっきりと見て取れた。

 そのようすから、どうやらソーヤの記憶障害については結局誰も教えなかったらしい、それでもってそのためにタニラがついてきたのだろう、と察する。


 しかしヒナトが思うにタニラの同伴はむしろ不安だ。

 この前あんなふうに号泣しているのを見ているし、タニラが落ち着いて説明やフォローができるとはちょっと考えにくい。


 立ち上がったものの固まっているソーヤを横目に、ワタリが座ったまま口を開いた。


「やあ、ほんとに久しぶりだね。お寝坊さん」

「言うなよー、まさか俺だけ倍も寝ちまうなんて俺がいちばんショックだっつの!

 さすがに四年も経つと顔とか変わるよなぁ。みんな最初は誰だかわかんねーもん。ユウラとかでかくなりすぎだろ」

「そうかな? ユウラは昔から背高いほうだったと思うけど」

「でも前は俺とソーヤのがでかかったし。な、ソーヤ! ……どうかしたか?」


 ソーヤが沈黙したままであることに気付き、エイワが不思議そうに親友を見る。

 つられてヒナトも彼を見た。


 そのときのソーヤの表情は、凍り付いているようでもあったし、震えているようでもあった。


 覚えていない相手に親しげに話しかけられたうえ、過去の話で同意を求められても答えようがないだろう。

 動揺するのも無理もない。


 しかもエイワの隣には、もう泣きそうになっているタニラがいるのだ。


 このままだと最悪の事態に陥る。

 つまりソーヤの病状についてエイワがまったく心の準備をしていないまま知ることになり、ソーヤにしてみればまた誰かを傷つける結果になり、どちらにとっても辛い状況になるだろう。

 しかもそれをどちらとも親しいタニラが目の当たりにしてしまう。


 どうにか助け船を出したいヒナトではあったが、所詮は人づてに事情を聞いただけで気の利いた台詞など出てくるはずもない。


 となればあとは頼れるのはアツキかワタリだけだ。

 そのふたりはというと、アツキは気まずそうに眼をそらしてしまっていて、ワタリのみ落ち着いたようすでこの場を見守っているようだった。


「……いや、なんだ、すげぇ久しぶりだから、俺も誰だかわからんかったわ……」


 かすかに震えを残した声で、ソーヤがようやく口を開く。


 誤魔化すつもりなのか。

 そんなことをしたって解決にはならないし、結局いつかは破綻してしまうのに。


 というかそんな言葉ででエイワは納得するのだろうかとヒナトは心配した。

 事実エイワはしばらくぽかんとしてソーヤを見つめていた。

 なんとも居心地の悪い静寂があたりを包み、たぶんこの場の何人かは今すぐ走って逃げたい気持ちだったに違いない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る