埋(うず)められた過去

buried record:no title(1)

「とうとうふたりだけになった、とか思ってるんじゃないでしょうね?」


 からかうような声音で吐かれたその言葉に、少年は肩を竦めた。

 冷たいベッドに横たわったその人の鼻は半透明のチューブに繋がれていて、不規則な呼吸を誤魔化すように、時折歯をちらつかせて笑う。


「わたしがいないからって仕事サボってイチャつかないように」

「するわけない。いくらなんでもこの状況で」

「……いや冗談だっての、だからもっと肩の力抜いて笑いなさい。あんたが落ちたらもう後がないんだから」


 笑えるはずもなかったが、努めて口角を持ち上げて見せた。

 それで少しでも相手の気に添えるのならそうしてやりたかったから。


 後がないという言葉どおり、もうGHには片手すら余るほどの人数しか残っていない。

 すでに班制度は解体されて久しく、もともとは別オフィスの所属だった面々が、本来とは違う席に身を置くことにすら慣れてしまっていた。

 そうして最後の班長である彼女が倒れ、もはや残るは副官の少年と秘書の少女のみ。


 少年は必然的に彼女の班長業務を引き継ぐことになる。

 急なことではあったが、すでにこういう事態は予測されていて必要な申し伝えはとっくに済んでいる──それが今は、空しく悲しい。


「……ねえ、メイカは大丈夫?」

「だったら今ここに連れてきてるよ。無理そうだから置いてきた」

「あー……じゃあすぐ戻って。わたしに構う必要はないから」

「そうは言っても、……俺がいたって落ち着けるわけじゃないみたいだし、それに、ここに行けって言ったのもあいつなんだ。ナヅルが心細いだろうからって……」

「バカ、なんでそれを真に受けちゃうの」


 口さがない班長は呆れを隠さないで少年を叱る。


「それがあの子の悪い癖なのは知ってるでしょ! ……ああもう、なんで先に倒れたのがわたしなんだろう?

 もうなんでもいいから早くメイカのところに戻ってあげなさい。そしてもうここには来ないこと。あなたがするべきなのはわたしを看取ることじゃなくて、この忌々しいの原因とトリガーを探し当てることと……生き延びることなんだからね」


 点滴の管を繋がれた腕が、びしりと扉を指さした。

 少年に、早くこの病室を出てするべきことを果たしに行けと言っている。


 不安でないはずはないのに、少女──ナヅルは一言もそれを口にはしなかった。

 何度も昏倒を繰り返した挙句についには立てなくなり、もう医務部で死を待つだけの身体になってしまっても、最後まで泣き言ひとつ漏らすことなく逝ってしまった。


 どうしてそんなに強くいられるのだろうと不思議だったが、あとから思えば単純で、彼女にはそのときすでに心痛を打ち明けられる相手がいなかったのだ。

 ソアには必ず唯一無二の『支柱』となる同胞がいて、彼女はそれを早々に失ってしまっていた。

 だから残されたふたりを案ずることでその痛みを和らげていた、そうするしか正気を保つ術がなかったのだろう。


 そして、彼女が心配していたメイカはというと、日に日に小さくなっていった。


 もともと小柄な身体が目に見えてやせ細っていくのを隣で見ていると、病が進行しないのが不思議なくらいだったが、むろんそんなはずもない。

 メイカは自身の身体を蝕むいくつかの症状について、少年に黙っていただけだった。


 人一倍気を遣う性質で、それゆえこちらに心配をかけたくなかったのだろう。

 意図はわかる。

 納得もしている。


 だが、理解はできても心情が追い付かないこともあるのだと、彼はそのとき思い知った。


「なんで言わなかったんだよ!」

「……そういう顔するって思ったから……。ごめんね」

「隠されたら対処のしようがないだろ! ああもうッ、くそ、……どうすれば……何を見れば……!」


 ばさばさと音を立てて少年の手から書類が落ちる。

 これまでの実験のデータを取りまとめたそれは、何度読み返しても平坦な事実の羅列でしかなく、少しも状況を打開する助けにはならなかった。


 そこにはメイカの体調についての記録もある。

 数週前から彼女が頭重と不眠に悩まされていたことを、少年はその報告書で初めて知った。

 自分に心配をかけまいとしただけだとわかっている、だから彼女を責めたいわけでは決してないのに、口から出てくる言葉はどれも不安で震えて荒いものになってしまう。


 少年は焦っていた。

 このごろは何を見てもイラついて仕方がなかったし、何も進められないまま一日を終えるたび、自分を殺したくなるほどの絶望と無力感に苛まれる。


 そうした情緒の問題もまた、先天性疾患の抱える症状のひとつだった。


「……泣かないで」

「泣いてなんかない……」

「大丈夫だから」


 メイカはたびたび、彼女より一回りも二回りも大きな少年を抱き締めながら、あやすようにそう言う。

 腕の長さはちっとも足りていないのに、なぜだかそうされると大きなものに包まれるような心地がした。



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