data_175:ソーヤの覚悟

 というやりとりから数十分ほどあと、一班男子はふたり揃って給湯室の扉を開いた。

 ここを探し当てるのにも多少なりと時間はかかったが、それは語るべきことではないので割愛する。


 とにかくミチルはそこにいた。そして、彼女はひとりではなかった。

 場所が場所だけに誰かが居合わせること自体はおかしくないし、それがタニラだったのも、彼女の役職を考えたら自然なことだろう。

 それでも驚いたのは、ミチルと彼女が思わぬほど穏やかな雰囲気で雑談をしていたからだ。


 とくに、ちょうどふたりが扉を開けた瞬間に聞こえた科白など、自分の耳で聞いたのになかなか信じがたい。

 ミチルからタニラに向かって、「一緒に外出してくれるか」と問うていたのだから。


 このふたりが仲がいいだなんて話は今まで聞いたことがない。


「あら、ソーヤくんに、ワタリくん。……ふたり揃ってなんて珍しいね」

「あ、ああ、まあな。……タニラはここで何やってんだ?」

「彼女の話を聞いてたの」


 ソーヤに向かって麗しい笑顔を浮かべるタニラとは対照的に、ミチルは素早く彼女の背後に隠れてしまった。

 まるで野生動物が警戒しているような雰囲気で、タニラの肩越しにちらちらとこちらを窺うその顔は、直前まで泣いていたらしく瞼を真っ赤に腫らしている。


「あの、ミチル……」


 恐る恐るワタリが声をかけると、ミチルは噛みつきそうな勢いでこちらを睨んだ。

 その剣呑なさまにワタリは思わず怯んでしまったが、ソーヤは気にせず――正確には、気にしていないふうを装って――彼女らの傍に行こうとする。


 それを、制止する手があった。


 タニラの白い手のひらが、ソーヤに向かって突きつけられているのだ。

 さすがにソーヤもそれには面食らって足を止めた。


「……ごめんね、ソーヤくん。でもまだ近寄らないで。怖がってるの、見ればわかるよね」

「俺には……キレてるように見えんだが」

「同じだよ。怖いから、自分を護るために怒ってるの……」


 じっとソーヤを見つめるタニラの眼は、乾いているのになぜか泣いているようにも見えた。

 その水底のような深い青色はたしかにソーヤを非難している。それはたぶん、ソーヤ以外にはわからないだろう。


 薬で塗りつぶされた記憶の中に、険しい表情をしたタニラがいる。

 その向かいに、今はいない、取り戻すべき少女もいる。

 まだ上手く思い出せはしないのに胸が痛むのは、きっとそれを覚えているのがソーヤの脳とは、別の場所だからだろう。


 彼女の怒りや悲しみを、ソーヤは正面から受け止めてやらなかった。

 たぶん同じことをミチルにもしてしまった――タニラが言いたいのは、恐らくそういうことなのだ。


「ミチルと話をさせてくれ。頼む、……そのために来たんだ」


 ソーヤは懇願した。

 もしかしたら、傍から見れば無様な姿かもしれない。これまでのソーヤとは違うかもしれない。

 それでも、かまわない。


 いつか帰ってくるほんとうの秘書のために、班の中にわだかまりなど残してはいけない。

 悲願を達成するためにはすべきこと、やらなければいけないことが山積みで、一刻も早く先に進むためにはミチルの協力が必要だ。


 そしてそのために必要なことなら、ソーヤは何でもすると誓ったのだから。



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