おはよう、オペラ
data_176:運命の日
とてつもない早さで日々が過ぎていく。光陰矢の如しとはよく言ったものだ。
窓の外では樹が枯れ、雪が積もり、嵐が吹き荒れ、花が咲き――それを幾たびも繰り返し、今はまた、まばゆい日差しがきらめいている。
それを眺めながら今、最後の報告書が仕上がった。
ならばもうここに留まる必要はない。
はやる気持ちを抑えつつも急いで立ち上がった。残りふたりがそれを見て、少し笑うような気配とともに、こちらに倣って席を立つ。
三人連れ立ってオフィスを出ると、廊下にはすでに仲間たちが集まっていた。
「エレベーターの定員て何人だっけ。二手に分かれたほうがいいね」
副官がぽつりとそう言った。その声がどこか嬉しそうなのは、この日を誰ひとり欠けずに迎えられたことと、今ここにその全員が揃っているからだろう。
それぞれの顔をざっと眺めてから、ソーヤは息を吐いた。
「……今まで、ありがとうな」
「何? これから死ぬみたいな言いかたはやめて」
「……、せめて少しは間を置けよ。情緒ってもんがねーのかおまえは」
「今そんなものが要るかって逆に聞きたいんだけど。……こっちは三十分前から待ってるんだから、余計な話してる場合じゃないでしょ」
相変わらず口さがない女にぴしゃりと言われ、しかしそれも尤もだ、と苦笑する。
みんなずっと、今日という日を待っていた。
この時を迎えるために知識と頭脳と気力を振り絞り、あらゆる無理と無茶を押し通し、たまに倒れたり精神的に限界がきて軽く壊れたりもした。
それらの苦労を乗り越えて、やっと自分たちは進めるのだ。
次の段階、つまりは最終工程――
ワタリが言ったとおりに二手に分かれてエレベーターに乗り込む。それに、どのみちこれからする作業も何手かに分かれることになっている。
ある者は彼女を迎えに休眠室へ、またある者はラボで必要な機材を調達し、またある者は医務部へ行って器具や薬品を手に入れる。
それぞれ誰が何をするかは事前にすべて決めてある。
失敗は許されない。その原因となりうる混乱は予め排除しつくした。
道は整然と渡されており、あとは決められた手順通りに作業を進めていくだけだ。
それなのに、手が震えた。
何度も何度も確かめてあらゆる方法で検証したはずなのに、ほんとうにこれでいいのかという不安が滲み、ときに息すら苦しくなる。
もし理論に抜けがあったら、自分の担当する工程に不備があったら、もし彼女が復活しなかったら、どこかで何かが足りなかったらという疑念に頭が覆い尽くされる。
これで上手くいかなかったら、二度目はあるか?
その答えはもう知っている。ノーだ。
少なくとも、別の方法をまた一から探さなくてはならなくなるし、それにまた何年かかるかわからない。
その間に彼女が保たなくなる可能性もある。
だから実質、チャンスは一度きり。
「……証明する」
サイネは呟く。彼女にとっては、これからもここで生きていくために。
「やるだけやった」
ユウラは独りごちる。自分が務めを果たしたことを認めるために。
「お願い……」
タニラは祈る。そうしたいと、心から思って、そうする。
「……早く……」
「うん、会いたいね……」
ニノリは拳を握り締める。その肩を、隣にいたアツキが優しく抱いた。
「頼むよ、ほんと、頼む……」
エイワは両手を握り合わせて、眼を閉じた。
そして、第一班の三人は、揃って植木鉢の前にいた。
言葉はない。黙ったままひたすらに時が経つのを待たねばならなかった。
傍らのモニターに内部の情報が表示されている。これはもともと植木鉢に備わった機能ではなく、ワタリが追加で設計したものだ。
そこに記された、もろもろの値が目まぐるしく変化している。
ソーヤに細胞を与えるために、ヒナトの身体は一度ばらばらに分解されていた。
植木鉢の機能とオペラ自身の補完能力によってかろうじて生命は保たれていたものの、植木鉢から出られる状態では到底なく、そもそも意識のない仮死状態となっている。
だから彼女を取り戻すのにまず最初に必要だったのは、失った身体をできる限り復元することだった。
それは一朝一夕にはできない。
何カ月もかけてオペラに働きかけるとともに、移植用の臓器を培養しなければならず、それにはどうしてもヒナト自身の生体情報が必要になる。
幸か不幸か、ヒナトの身体はほとんどがオペラ細胞でできているため、臓器が適合しないということは理論上ありえない。
しかし逆に移植された臓器の遺伝情報を読み込んで適応してしまうので、複数の臓器を移植するとなると完全にノーリスクというわけでもない。臓器同士が拒絶しあう可能性は充分にある。
そのうえオペラ細胞自身に分裂能力がほとんどないため、この工程は困難を極めた。
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