data_169:晴れ間を待つ②第三班
こんなときでも通常業務を休むわけにはいかないので、アツキは朝から今までにないほど真剣にデスクトップに向き合っていた。
アツキなりに考えている。
突然いなくなってしまったヒナトのために、自分ができることがどれくらいあるのか。
生まれたときからずっと一緒にいる他の仲間に比べると、彼女とすごした時間は長くはない。
けれど友人としても後輩としても、彼女はすでにアツキにとって、ソアとしての短い人生を彩るもののひとつになっていた。
ヒナトは素直で明るくて、親友のサイネとは違う反応と刺激をくれる。
それに幼くて純粋で、ちょこちょこ抜けているところもあって、面倒の見がいがあるのも好ましかった。
彼女のかわいい初恋を応援したかったのに、これで幕引きにしてしまうことにも耐えられない。
だから、アツキはアツキなりに、真剣に考えてこうしている。
第三班の班長はニノリだが、班員のマネジメントという意味ではほとんどアツキが管理していて、誰がどれくらいの能力があるかも恐らくアツキがいちばん正確に把握している。
それで結論づけた。ヒナトを救うためには「計画」に最も参加するべきなのはニノリで、次点でエイワに関わらせるべきだ、と。
ヒナトのために何かしたいと思えば思うほどに、アツキがするべきなのはただ一つ――彼らから通常業務の負担を減らすこと、すなわち、彼らの分までアツキが引き受けることなのだ。
「おいアツキ、ちょっとは休めよー。ほら糖分」
張りつめた神経をほぐすように、柔らかい声が降ってきたかと思うと、ついでに甘い香りがゆるゆると漂ってきた。
顔を上げたアツキの前にカップが差し出される。
チョコレートの薫香に、ちょっと泣きそうになりながらそれを受け取ると、手のひらがじわりと温まった。
ココアはヒナトの好物だった。
たぶんエイワはそれを知らないから、これはきっと偶然だろうけれど。
「ありがと。……あ、そういえば、資料まとまった?」
「んー、まあざっくりと。とにかくやたら量が多いよな。でもま、これが全員に周知されんのはけっこうデカいと思うし、飲んだらすぐ続きやるよ」
「……そっか。ほんと、ありがとねぇ」
ヒナトとは付き合いが短かったエイワがこんなに頑張ってくれることに、ほんとうに心から感謝している。
しみじみとそう思いながら言ったアツキに応えるように、エイワも疲れの滲んだ表情の上へ、静かな微笑みを浮かべていた。
「ニノりんもありがとね。ごくろーさまです」
「ん」
秘書とばかり話していると班長がたまに拗ねてしまうので、アツキはすかさずニノリにも声をかけた。
すでにココアを受け取っている末っ子は、それに口をつけながらもまだ眼はディスプレイに向けられていて、苔色の瞳に四角い光が映り込んでいる。
まだまだ子どもだと思うのに、こういうときの表情はまるで大人のようだ。
生返事は良くないという抗議も込めつつ、そっと頬に触れる。
驚いたのだろう、ぱっとこちらを見る双眸の中によく知る子どもが戻ったので、アツキは満足してにへらと笑った。
「休憩はちゃんととらないとダメよぉ。頑張ってくれるのは嬉しいけどね」
「……頑張ってると思うか?」
「うん。ニノりん、自分ではそう思わない?」
「わからない。……いつもと違うような気はするし、なんか、妙な感覚というか……」
ニノリはもごもごと口を動かして、言葉を探すような素振りを見せた。
彼の内面を言葉にしようとしているらしい、と察したアツキは口を挟まず、辛抱強くその続きを待つ。
あまり素直でないニノリにはこれは珍しいことで、成長とも呼べることだと思ったからだ。
「……挨拶されたんだ。けっこう前に……春か、それくらい」
「ヒナちゃんに?」
少年は頷いて、難しい顔をした。
「最近それを、よく思い出す。他に接点もないし、こういう作業をしているわけだから、それ自体は変ではないと思う。
……ただ、その、そのあとだ。思い出したあとで……つまり……」
その先の言葉が見つからないらしく、ニノリは小さくかぶりをふった。
だからアツキは彼の手を握った。
行きどころのわからなくなっている彼の感情を、こちらに繋いでほしかったから。
「わかるよ。ニコニコ笑って挨拶されたら、それって嬉しいことだもん。
だから頑張っちゃうんだ。……会えないのは寂しいから、早くまた会いたいと思うんだよ、うちも同じ」
ニノリは答えなかったけれど、結ばれたくちびるが微かに震えていたのが、何より雄弁な返事だった。
それを見て思う。
やはりここにはヒナトのような存在がなくてはならない。
ソアは性格や性質に問題を抱えていることが多い。
わかりやすく人付き合いが苦手なニノリのような子もいれば、アツキのように外面はよくても誰かへの支配欲が抑えられなかったり、エイワのようにすぐ人に譲ってしまい損をしやすい者もいる。
そんな自分たちにヒナトは分け隔てなく接して、その場を明るく照らしてくれた。
どれほど土壌を整えようと、水と肥料を充分に与えられたとしても。
自分たちが花になるには太陽の光が必要なのだ――それによく似た、ひまわりの笑顔が。
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