data_010:そうだ、二班オフィスに行こう③

「もう我慢できない。上に異動願でも出して交代してもらうわ!」

「ちょっ、そんなの強行手段じゃないですか! それこそずるいってもんですー!」

「ずるくないわよ正当な手段よ!」

「でもあたし、これでもソーヤさんに直接──あだっ!」

「きゃっ!」


 いつまで経っても終わりの見えない言い争いに終止符を打つように、すぱーんと清々しい音がオフィスに響き渡る。

 それと同時にヒナトたちを襲った衝撃と痛み。


 しかしこんなときまでかわいい悲鳴をあげられる美人秘書スキルがちょっと恨めしい。


 半べそになりながら殴られたほうを向くと、手に厚さ二センチほどのプラスチックファイルを持ったサイネが、眼をぎらぎらさせながら立っていた。


「あんたたち、私の仕事の邪魔すんなら出てってくんない」


 気配では激怒しているというのに、静かな声音が余計に恐ろしい。


「ご、ごめんなさい。仕事に戻ります……」

「よろしい。

 で、ヒナト、あんたはどうするの。どうせ暇なんだから手伝いなさい」

「はい、そうします……」


 ヒナトは大人しく従う道を選んだ。

 逆らわないほうがいい、と本能が告げていたからだ。


 じゃあまずお茶くみして、と茶器一式を持たせられる。


「いい、カフェオレふたつと紅茶よ。

 サイネちゃんのはコーヒー多めで、あとミルクじゃなくてクリームね。こっちはコーヒーに比べて少なめにすること。

 ユウラくんはアールグレイのストレート。ダージリンと間違えちゃだめよ。

 それからお砂糖は入れるんじゃなくてシュガーポットに入れて持ってくること。渡す順番はサイネちゃんが絶対に先。えーとあとは──」

「うえええっちょっとメモ、メモとらせてくださいいい!」


 いつもソーヤのブラックコーヒーと、お茶ならなんでもよかったワタリに慣れてしまっているヒナトには、注文の多い二班のお茶くみは難易度が高い。


 わたわたと手帳に書きつけてみるが、それでは情報が整理されていない。

 あとで読み返しながらまた混乱しそうだ。


 味には期待しないでくださいね!と言い残して出ていくヒナトの背を、してないから大丈夫よ、とタニラのフォローめいた嫌みが追う。



 十数分後、なんとか指定された飲みものを用意できたヒナトはそれを三人に配った。


 サイネにはコーヒー率高めのカフェオレ、ユウラにはなんとかのストレートティー。

 タニラもカフェオレだがこちらはミルク多め。

 そして自分にもちゃっかりココア。


「あー……濃いわ……」

「えっ、それってま、まずいってこと?」

「個々の好みにもよるけど、普段この濃さでブラックにしてんなら飲みにくいと思われてもしゃーない。

 あんた自分の淹れたコーヒー飲んだことないでしょ」

「うっ、そのとおりです……」


 サイネに言われたことも手帳にメモをとっておいた。

 次回、ソーヤにもう少しましなコーヒーを淹れてあげられるように。


 というか、普段はまずい以外の感想をもらっていないので、こういうためになる意見はありがたい。

 これまでなかなか上達しなかったのも、こうして意見を聞く機会がなかったせいかもしれない。


 ちなみにタニラのカフェオレもやはり濃すぎたようで苦い苦いと罵られた。


 まあろくなことは言われないだろうと覚悟していたので、ヒナトも極力冷静に受け流すことにする。

 ……いつか見返してやるからいいのだ。

 べつにぜんっぜん怒ってないっ。


 そしてここへきてユウラからの感想がなかったのだが、彼は相変わらずよそ見もせずに仕事をしているので(そういえばユウラは女の子みたいな響きの名前だけれど男の子だ)、ちょっとかなり声をかけづらい。

 紅茶もかなり苦手分野だからぜひ意見を聞きたいところなのだが。


 そんなヒナトの葛藤に気づいたのか、サイネがぐいぐいとユウラをこづいた。


「ちょっとユウラ、そっちはどうなの」

「……それは作業の話か? それとも紅茶?」

「どっちも」

「ボックスKはもう済んだ。紅茶は渋い」


 それだけ? ……たったそれだけ、ですか?


「俺は淹れかたを知らないから助言はできない。ただ感想を述べるなら渋い。解決策はタニラに訊けばいい」

「ごめん、こいつこういう奴なんだ」

「あ、ううん、お気遣いどうもありがと……そしてユウラくんはごめん」

「……まずいとは言っていないが?」


 真顔で返すユウラの右肩に、あんたの言いかたはわかりにくいの、とサイネから鋭いツッコミチョップが入る。


 けっこう痛そうな音がしたのにそれでも平然としているユウラが怖い。

 思えば彼は、少なくともヒナトが来てからの二時間ほどずっと表情を変えていない。


 うん、まあ、まずくないのならいいか……?


「だいたいさっきだって喧嘩の仲裁もしようとしないし」

「俺が止めに入っても無駄だろう」

「それはつまり、よーするに面倒だったのね?」

「そうだな」


 ユウラはしれっと答えると紅茶を飲んだ。

 無表情でいられるのは怖いが、顔をしかめずにヒナトの淹れたお茶を飲んでくれたのは新鮮だった。


 もちろん、だからといって一班のふたりを非難するつもりも、そうする権利もヒナトにはないのだけど。

 それだけ気を許してくれているのだろうし……たぶん。


 でも、たまにはこういうことがあってもいいはずだ。


 すぐには結果が出ないかもしれないけれど、ヒナトは努力する意思をなくしていない。

 いつかきっと美味しいコーヒーや紅茶を淹れられるようになる。

 そう信じて前向きにやっていけばいいと、ヒナトはそう思う。


 そしていつか、ソーヤやワタリからありがとうをもらえるようになったら、きっと今日のことを思い出すのだろう。


「んーじゃ次はそこの棚の整理して」


 ……ヒナトが感慨に耽っている時間はないらしい。


 サイネに指示されてそちらを見れば、大小さまざまのファイルが縦横無尽に詰め込まれて今にも崩壊しそうな棚があった。

 あんなものどうやって整理しろというのか。


 助けを求めて周りを見回すが、誰もかれもコンピュータのほうを向いてしまっている。


 どうやら今度は助言をいただけなさそうなので、ひとりで頑張るしかない、ようです。



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