それでもまた日常が始まる

data_077:何かがいつもと違う朝

 何ごともなかったように、次の日の朝がくる。

 目覚ましが鳴るより早く起きてしまい、布団にくるまったまま、ヒナトはぼんやりと自室の天井を見つめていた。


 昨日一日でいろんなことがありすぎて、まだ頭の整理が追い付いていない。


 まずフーシャのこと。

 ほんの二日しか顔を合わせなかったが、彼女のことはきっとずっと忘れられない。


 そして、彼女の死を目の当たりにしたときの、コータのこと。

 小さな身体に収まりきらないほどの激しい哀惜と悲痛は、見ているこちらまで呑み込まれそうなほどだった。

 こちらもきっと、永遠に忘れることはないだろう。


 ……それから最後に、ソーヤのこと。


 今思えば昨夜のヒナトはかなりのパニック状態だった。

 初めて目の当たりにしたソアの死に衝撃を受け、感情のコントロールが効かなくなって、頭の中がソーヤのことでいっぱいになってしまった。

 彼もフーシャのように突然いなくなってしまうのではないかと思い、悲観と混乱でおかしくなっていた。


 どうすればいいのかわからないまま彼に泣きついてしまったわけだが、ソーヤは拒まなかった。

 優しく抱き締めてくれた上に、他の人に見られてのちのち気まずい思いをしないようにと、泣きじゃくるヒナトを彼の部屋に匿ってくれた。


 他のソアの自室に入る経験などあれが初めてだ。

 しかもそれがソーヤの部屋だとは、昨日までのヒナトなら思いもしなかっただろうし、正直今でも信じられない。


 なんだか夢を見ていたようだった。

 部屋中ソーヤの匂いでいっぱいの空間と、ヒナトを宥める温かな腕や手の感触を思い出すと、それだけでじんわり身体が温かくなる。

 けれど幸せな気分だけで終われそうにないのは、最後にソーヤが見せた眼のせいだろう。


 切なそうな苦しそうな眼をして、ソーヤは何を言いかけていたのか。


「……どーしよ」


 今日も彼に会うのに、ヒナトはどんな顔をすればいいのかわからなかった。

 胸がもやもやとして少し息苦しささえ感じている。


 幸い今日は早く起きられたし、今から支度をすれば朝食の時間は被らないだろう。

 ヒナトはむっくりと身体を起こして寝間着を脱ぐ。

 どのみちオフィスで顔を合わせることにはなるけれども、それまでもう少しだけでいいから、気持ちを整える猶予がほしかった。



 ・・・・・



 人影まばらな食堂はなんとなく寂しい。

 ともかくいつもどおりシュガートーストをココアで流し込み、近くに座った職員とあたりさわりのない雑談をする。

 いつもと時間が違うせいか、普段はあまり会わない顔の人だった。


 そういえばラボに聞き込みをするという任務がちっとも進んでいなかった。

 とはいえ今はとてもそんな気分にはなれないし、あとあまり時間をかけたくなかったので、ひとまず忘れることにする。


「たまには早起きの日もあるさ。まあ、もし何日も続くようだったら、医務部に相談するといいよ」

「うーん、そうします」


 もうその単語を耳にするだけで気分が悪くなるのだが。

 そんな気持ちが表情に出てしまったのか、返答が明らかに言い淀んでいたからか、職員はちょっと苦笑いしていた。


「医務部といえば、今日は忙しくなるだろうな」

「え?」

「ほら、今日はガーデンの子がひとり休眠に入るから、その前に山ほど検査をしないと。自分も今日はそっちに時間を取られそうだ」

「そっか……あの、それ、コータくんが植木鉢に入るの、何時くらいですか?」

「順調にいけば昼だね。遅くても夕方には。気になるなら顔を見においで」


 ヒナトは頷いた。

 自分が会いに行ってもコータは喜ばないだろうが、それでもやはり彼のことが気にかかったからだ。

 それにソアの休眠という一種の通過儀礼や、そのためだけに存在する『植木鉢』という機械のことも、改めて一度見ておきたい。


 少し前のヒナトならそんなこと思いもしなかった。

 毎日なんとか秘書としての仕事をこなすのに一生懸命で、それ以外のことなど考えられなかった。


 そんなこんなで朝食を終わり、早めにオフィスに行く。

 掃除でもしようと思っていたが、その前に少しばかり片づけも必要だなと、意外にものが散らかった室内を見回しながら思った。

 花瓶に挿した造花にも埃が積もっている。


 そのうちソーヤとワタリがやってきて、てきぱきと手を動かしているヒナトを見て驚いた顔をした。


「おはよう。ずいぶん早いねえ」

「あ、おはようございます。たまたま早めに起きちゃったんで、なんとな、く……」


 何気なく笑いながらそちらを向いて、ふいにソーヤと眼が合った瞬間、なぜかヒナトは息が止まってしまった。

 見えない手で喉を掴まれたような心地だった。

 もちろん実際にそんな恐ろしい事態が起きているわけではない、ただヒナトの肺や気管が突然仕事を放棄してしまったように動かない。


 ソーヤはというと、すっかりきれいになったオフィスを見て感心しているふうだった。

 そして呼吸困難に陥っているヒナトのことなど露知らない彼は、普段と同じ調子で挨拶しながら、気軽にヒナトの肩をぽんと軽く叩いた。


「はよ。たまにゃ気が利くな」



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