data_172:同じ苦味を知っている

 乗っ取ってやろうと思っていた。ミチルにとっては、奪われた人生の光と時間とを取り返してやるくらいの気持ちだった。

 そのためにヒナトが傷つくことがあったとしても、当然の報いだと笑うつもりだった。


 けれどヒナトは自分の意思で消えてしまった。

 そしてそれをみんなが悲しんだ。泣いて、嘆いて、惜しんだ挙句、取り戻そうという話になった。

 夢物語だったはずのその試みは、少しずつ現実になろうとしている。


 それがミチルには耐えられない。


 ミチルにとってはヒナトのほうがミチルの偽者で、自分の手で排除はできなかったが、なんにせよいなくなってくれてホッとしていたのに、戻ってきてもらっては困る。

 それに今、誰と会っても誰と話しても、相手の眼が雄弁に物語るのだ。

 この姿にヒナトのそれを映して、ミチルをミチルという個人としてではなくヒナトの鏡として見ている。みんなミチルにヒナトの面影を探しているのだとわかってしまう。


 オフィスでも、あれほど無能で役立たずだったヒナトのほうが、彼女の何倍も有能なミチルよりもずっと必要とされている。

 今はミチルは彼女の代役にすぎず、戻ってきたら用なしになる運命が待っている。


「本当なら……ヒナトなんて初めからいなくて、あたしが第一班の秘書だったのに……あたしはずっとあいつの影に追いやられてる、あいつがいなくなってからも、これからもずっとそう!!

 じゃあ、あたしって、何のために生まれてきたの!?」


 耳をつんざくような自らの叫びは、そのままミチル自身の胸を切り裂いた。


 偽者が本物に取って代わった。

 それを誰もおかしいと言わないのなら、ミチルひとりが狂人なのだと言うのなら、いっそ殺してほしい。


 けれど、ああ、何を嘆いたところで、どうせタニラにはわかるまい。

 タニラは唯一無二の存在で、しかも美貌で有能ときている。誰にも必要とされないミチルの苦悩など理解できるはずがない。


 ミチルが自嘲した、そのときだった。


「……あなたの気持ち、よくわかる。私もずっとそう思ってた……」


 ふいにタニラがそう呟いた。

 ここへきて見え透いた嘘を言うのか、とミチルは彼女を睨もうとして、タニラが泣きそうな眼でこちらを見つめていることに気付く。


「私も、ガーデンにいたころは、ソーヤくんの秘書になるんだって思い込んでた。実際、あの事故がなければそうなってたと思う……ソーヤくんが、私やエイワくんとの約束を忘れなければ……あの子が現れなければって……。

 だから、あなたがGHに来る少し前まで、私、ヒナトのことを苛めてたの。居場所を取られたと思ってたから」


 タニラの表情は真剣だったが、にわかには信じがたい告白だった。


 たしかにヒナトが普段つるんでいたのはサイネやアツキで、タニラとは親しくなさそうだったけれど、だからといっていがみ合っているところなど見たことがない。

 ふつうに会話していたし、いつかミチルが彼女の前でヒナトをポンコツ呼ばわりしたときも、苦笑いしただけで乗ってはこなかった――嫌いだったなら、一緒に詰ってもおかしくないのに。

 それとも悪意をすぐ態度に出すミチルのほうがおかしいのだろうか。


 それに「苛めていた」と過去形で話している。つまり今は、少なくともミチルが表に出てきてからは違うということ。

 ということは、タニラはヒナトのことを許してしまったのか?


「……なんで?」


 いろんな疑問がごちゃまぜになって、口から単純な疑問符だけが漏れた。

 何について尋ねているのかもわからないその言葉に、タニラは少し困ったように微笑んで、答える。


「ほんと、おかしかったと思う。悪いのはあの子じゃないのにね」

「いやそっちじゃなくて」

「……同じだと思うわ。苛めてた理由も、それを止めたのも、私がおかしかったからよ。自分でおかしいってことにすら気付けなかった……。

 それに誰かを責めても現実は変えられない。ヒナトにひどい言葉をかけたって、彼女と一緒に私も傷つくだけ。……それに気づいたから、苛めるのは止めたのよ」

「よく……わかんない。あたしはそうは思わない……だって……」


 ミチルは己の手を見た。

 止血してもらって消毒され、今はきれいにガーゼが巻かれているけれど、まだそこはじりじりと痛んでいる。

 こんな小さな怪我ならそのうち塞がって痕も残らないかもしれないが、心に負った傷は永遠に治らないように思えてしまう。


 そしてその絶え間ない痛みを紛らわせるために、ミチルは毒を吐くしかない。

 つねに誰かを罵っていないといけない。


「だって、……怒ってないと、しんどいんだもん」



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