data_116:焦燥、不安、嫉妬、執着

 ヒナトも顔を上げてこちらを見る。

 眼が真っ赤に腫れていて、また大泣きしていたらしかった。


 それを見て妙に腹が立つのはなぜだろう。

 誰の胸を借りたのか、どうして自分を頼らなかったのか、などと詰め寄りたい衝動がふっとソーヤの内に湧き上がった。

 同時に己のあまりの身勝手さに幻滅もして、このくだらない感情を押し込むために、ソーヤは呻くような声を漏らしながら、なかば頭を掻き毟るようにして前髪をかき上げた。


「~っ……、何があった」


 ヒナトは答えなかった。

 たぶん彼女の眼にはソーヤが怒っているように見えたのだろう、一瞬びくりと肩を震わせたのだけが見えた。


「彼女を責めるな。手落ちがあったのはラボのほうだ」

「……どういうことだよ」

「簡単に言うと、あまりにもラボからの説明が足りなかったんでパニックになってたんだよ。それでさっきまでその足りない部分について聞かされてたところだ。

 そうだよな、ヒナト」


 代わりにソーヤの問いに答えたリクウの言葉に、ヒナトは黙って頷く。


 ──私のことで混乱してるみたいで。

 ミチルがそう言っていたが、説明が足りない部分というのはそのあたりについてだろうか。

 あの少女が何者で、ヒナトとはどういう関係なのか──最初にミチルを連れてきた人間は姉妹のようなものと言っていたが、どちらかといえばクローンの類だろう。


 当事者であるヒナトにすら満足な説明がなされていなかったことにも呆れるが、班長である自分にも同じく説明がないことには腹が立つ。

 ヒナトは第一班の班員なのだから、その長で管理役である自分には、彼女に関わることのすべてにおいて知る権利があるはずだ。


「……その説明しに来てた職員ってのはどこのどいつだ?」

「忙しいんでもう帰ったよ。ラボの部署まで言ったら、おまえ今にも押し掛けそうだな」

「当然だ。俺にも説明するべきだろ」

「うん……ソーヤ、ちょっとこっちに来い」


 リクウに腕を掴まれて、ソーヤは病室から引きずり出されるようにして廊下に戻った。

 しかもリクウは丁寧に扉まで閉めてソーヤとヒナトを遮断する。

 どういうつもりかと怪訝に思いつつも、たしかにヒナトにはソーヤの質問に答える気力がなさそうなので、まだ少し休ませたほうがいいというのはわかる。


 それにソーヤは今あまりにも己に余裕がないことを自覚してもいた。

 ピリピリした荒い態度を彼女にぶつけてしまうのは、ソーヤとしても好ましいことではない。


「おまえの言いたいこともわかるんだが、今回ヒナトが聞かされた説明ってのは、彼女自身のプライバシーにも関わることなんでな。おまえが勝手にラボに聞き込みに行くのはやめてやれ」

「なんだよそれ? どういう……」


 ふいに頭の中にもやがかかったような感覚に陥り、ソーヤは言葉を途切れさせる。

 それはこのごろめっきり起きなくなったあのひどい頭痛の、前触れとしてしばしばあった異常に似ていたが、そのときのような苦痛がやってくる気配はない。

 何かが変だ、と内心で誰かが呟いているのをソーヤは他人事のように聞いていた。


 そして、ばちん、と。

 もやの奥で何かのスイッチが入ったような音がして、ソーヤは次の瞬間自分でも驚くような声を出してリクウに詰め寄っていた。


「なんでそれをあんたが知ってるような口ぶりなんだ!?」


 叫んで、すぐに正気に返る。

 目の前にはソーヤに胸倉を掴まれ、それでも平然とこちらを見下ろすリクウがいる。

 彼の冷静な眼差しがすっとこちらに降りてきて、ソーヤの脳にこもった熱をそぎ落とすように、次第に頭が冷えていくのがわかる。


「……落ち着け。たしかに俺は事情を知ってるが、それは俺も多少は関係者だからだ」

「関……係者……」

「とにかくヒナトは今日はもうオフィスには出せない。まだ心の整理が必要な状況だろうから。

 最初に言った、ワタリに内線で伝えた内容もそういうことだったんだが、おまえは顔見るまで納得しなさそうだったんで特別に面会させてやったんだ」

「……入れ違いってそういう意味かよ」


 ソーヤは脱力するようにしてようやくリクウから手を離した。

 そして、しわになったシャツの襟元を直しているリクウのことを、黙ったままぼんやりと眺める。


 関係者であるというのはどういう意味なのか。

 いったいこの男とヒナトの間にどういう繋がりがあるのか。

 ミチルはそこにどう関わっているのか。


 ……ヒナトが受けた説明とは結局なんだったのか、そしてそれをソーヤが知るにはどうすればいいのか。

 わからないことが多すぎて、だからたぶん、妙にイラつくのはそのせいだ……。


 そのとき通りがかった医務部の職員が、リクウに何ごとかを話しかけた。

 ソーヤの耳には会話の内容まで入ってこなかったが、というのも、リクウの横顔を見たときふと、誰かに似ているような気がしたからだ。

 思わず考え込んでしまったが、なんにせよ彼らの話はソーヤにもヒナトにも関係がなさそうだった。


 そして結局答えを見つけられないまま、リクウにGHに戻るよう促されて、ソーヤは医務部をあとにした。



 →

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る