data_036:扉を開けた日、願いが閉じた日

 暗い声音で少女は語る。白い扉を開けた日のことを。



 ・・・・・



 休眠用のカプセル型の寝台を抜け出し、ラボの職員にくまなく身体を調べられ、自分でも鏡を見て少し大人っぽくなったと感じたあの日。

 早くソーヤに会いたかったのに、職員はみんな首を振って同じことを言った。


 まだ検査が終わっていないから、もう少しだけ待ってね、と。


 鈍った身体のためにリハビリをしながら、その「もう少し」がいつ終わるのかと心待ちにしていた。

 不安はあったけれど楽しみのほうが勝った。

 休眠期間はおよそ二年、もちろんその間は一度もソーヤには会っていないのだ。


 そしてやっと許可が下りて、彼がいるという部屋に急いだタニラを出迎えたのは、もはや面影を見いだせないほどに覇気のない虚ろな表情。

 呆然とベッド上から動かない彼の傍には──本来ならタニラがいるはずだったその場所には、見知らぬ少女がいた。


 今でも忘れない第一声。

 誰何したタニラに向かい、少女は場違いなほど明るい声で答えた。


 ──あたしは、ソーヤってひとの『ヒショ』です。


 思わぬ回答にタニラが二の句を告げずにいると、ようやくソーヤが口を開いた。

 そして彼は、はじめまして、と言ったのだ。

 間違いなくその言葉と彼の視線は、タニラに向けられたものだった。


 生まれたときから周り全員が顔見知りで家族のような、花園育ちのソアにとっては聞いたことのない挨拶だ。

 けれど意味だけは知っている。


 彼にとっては自分は初対面の人間なのだ。


 タニラは彼を知っているのに!


「アマランス疾患、っていうそうよ。

 ソアが完璧だなんていうのは嘘で、ほんとはいろいろ詰め込みすぎて、あちこち綻びが出てるの。

 公表はされてないけどサイネちゃんたちが調べてくれて」

「じゃあ病気にならないっていうのも……」

「……外界の雑菌ですら命に関わるような滅菌環境にいるんですもの、ふつうの病気にはなりにくいでしょうね。


 ソーヤくんのはそういうのとは違うの。遺伝子とか細胞とかそういうレベルで狂ってるの。ありとあらゆる全身の神経系に異常が起きてる。

 ……記憶がなくなったり突然倒れたりするのも原因はぜんぶ同じ、アマランス疾患のせい……。


 わかってるのはね、ソアなら誰でも発症する可能性があることと、私たちの技術じゃどうすることもできないってことと、……ソーヤくんは何も悪くないってことだけ……」


 だからタニラは、代わりにヒナトを責めるしかなかったのだ。

 胸の内側に燻っていた燃えるような痛みを散らす方法がそれ以外になかった。


 他の誰に泣いても喚いても状況は変わらないし、それはヒナトに対しても同じようなものだが、それでも役職を横から奪ったという一点において彼女の非を見出すことができたから、胸を痛めず罵ることができたのだ。


 わかっている。

 そんな建設的でも健全でもない雑言は、ただの八つ当たりでしかない。


 事情を知らない新入りをいびったところでどうにもならない。

 理解はしていても顔を見合わせると冷たい怒りが湧き上がった。

 せめてヒナトが立場を変わってくれたら、もしも毎日長い時間ソーヤの傍にいられたら、少しでも彼が昔のことを思い出すかもしれないと思ってしまった。


 だが現実はどうだ。ソーヤの症状はここ最近で急激に悪化している。

 ラボの職員ははっきりとは言わないが、彼らの苦々しい顔を見れば不味い状況なのは明らかだ。


 ……考えたくもないけれど最悪の結末もありうる……。


 張り詰めていた糸が切れた。


 そうしてタニラが枯れ果てそうなほど泣いている間、大嫌いだった新入りはずっと隣にいてくれた。

 あれだけいじめて冷たくしたのに、いくら彼の秘書だといっても、その友人にまで気を遣う必要はないのに。


 まあ、わかっていたのだ。

 そんなに悪い子でもなくて、ただ要領とかタイミングが最悪なだけで、素直でまじめで頑張り屋で、たぶん負けず嫌いなところは自分とも似ている。


 それにきっとタニラとヒナトの共通点はそれだけではない。

 それはこれまでさんざん意地悪をしてきたタニラだからわかることだ。

 ある意味タニラは、他の誰よりも熱心に彼女に言葉を投げかけ、監視し、言動を観察してきたようなものだから。


 ──この子はどうやら、



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