11月24日 嘘と本当

 11月24日、連休明けの火曜日。曇のち雨。


 ツイッター上での知人がいる。その人は認知症のお母さんを介護しているようだ。日中は仕事をしながらなので、大変なことは想像できる。


 その人が「いつか母に手を上げてしまうかも」とつぶやいていた。


 プロの看護師やヘルパーはそれに対して「暴力絶対にダメ」と言う。当たり前だ。大きな間違いのもとになる。


 しかし、おれのような在宅介護者から言わせてもらうと、それは仕方のないことである。やりすぎなければいいのだ。

 この日記でもよく「ボケている父の頭を叩いた」とか「洗面器で殴打した」と書いているが、実際にはやっていないことのほうが多い。なぜそんな嘘を書き残すかというと、その方が単純に読んでいて面白いからだ。

 日記に嘘を残す意味があるのかどうかはわからないが、本当に叩いたのかどうか、おれだけが知っているというのも趣深い話である。


 心の中ではぶん殴っている。それどころかひねりのきいたバックドロップとかやってる。もうボコボコにしたあと簀巻きにしてから火ィつけて相模川に放流している。なぜそれをしないかは、敵の頭を軽く叩けば分かる。ダメージが自分の手と心に跳ね返ってくるからだ。


 どうしようもなく我慢しきれなかったら、平手で頭を叩く。これは3年で2回あった。胸を張って言えるようなことではないが、もしその時点で怒りを溜め込んでいたら、もっと大きな事件になっていた可能性もある。

 なのであながち「暴力絶対にダメ」と言い切れたものではない。それは本人にしか分からないのだ。


 そんなことは許さないと言う赤の他人もいる。本当にいる。


「障害者は天使のように清い」


 たぶん24時間ぶっ続けでやるテレビのせいでこんなイメージが広がった。「よって天使に仕える介護者は全ての理不尽をも愛し、何があってもニコニコと笑っていなければならない」というわけのわからない価値観が広まったのも、24時間ぶっ続けでやるテレビの影響が大きい。

 ずいぶん昔、24時間ぶっ続けでキャスターを務めて喝采を浴びたアナウンサーがいたような気がするが、そんなもん楽屋の隅っこでつめた〜いコカをインしてますと吹聴しているようなものだ。そもそも編成会議でスタッフ全員が鼻に新聞突っ込んで白いの吸引していなければあんなチャリティー風番組の企画が生まれるはずもない。会議の時点で瞳孔開きすぎなのである。


 少し話がそれたが、介護する側が感情の一線を越えてしまう瞬間は確実にある。親であろうが他人であろうがそれは関係ない。その時にどうするか。溜め込むか、ガス抜きするか。おれは迷わずガス抜きをする。もし介護系の職種に就いていたとしてもそうする。だから勤めることはできない。


「いつか母に手を上げてしまうかも」とつぶやいていた人が、この日記を読むとは思えない。読んでくださいという気もない。一応ツイッターには「仕方がないことです、我慢は限度があります」みたいなことを書き残しておいた。ツイッター苦手だから。


 実際には「どうしても我慢できなくなったら、軽めの一発くらいは仕方がないんですよ。けどそのダメージは自分に跳ね返ってくるので、絶対に逃げずに受け止めてくださいね」と言ってあげたい。

 だけど追い詰められている時は、こんな言葉聞いてもらえないだろうな……。

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