おれと左手首のしれつなたたかい

 11月1日、日曜日。もう11月かとカレンダーをめくる。母に来年の桜を見せてやることができるのかどうか、どうしても考えてしまう。

 今はまだどこも痛いところはないそうなので、簡単なリハビリを行なっている。いずれ歩けるようになることを信じて続けている。まずは立つことが目標だ。いつかきっとその目標に到達することができると信じている。いまだにおれは現実から目をそらし、運命に対して抗う姿勢でいるのかもしれない。


 最近、電話の回数が増えた。何しろ増えた。ケアマネはともかくとして、訪問看護や往診、訪問入浴、ヘルパーの回数が増えたのだからそれは当然のことだ。

 いずれも時間や日程の連絡なので、忙しい彼らの電話に出られないのはいろいろと厄介なことになる。業者さんの時間が重ならないようにこちらで調整しなくてはならないのだ。


 ほとんどが母の関連だが、たまに父の病院から電話が来る。正直に書くと今更どうでもいいので気が抜ける。できることなら


「父は1週間、目を開けたままテレビとか観ているから多分大丈夫です。黒目にハエが止まっても微動だにしない集中力を保ちつつ、元気に座っています」


 とか返答してみたいところではあるが、一般常識と腕に輝くアップルウォッチ様がそれを許さない。


 先ほど、電話の回数が増えたと書いた。鳴らされる回数は増えたが一度も出れなかったことはない。それは間違いなくウォッチ様のおかげである。アイフォーンだけなら調理中や掃除中に電話に出ることは難しい。着信音が聞き取れないからだ。着信音量を上げておけばいいのだが、そうすると両親がびっくりする。


 ところが左腕に装着したウォッチ様は、それがどんな時であろうと振動で着信を確実に知らせてくれる。もし電話が手元になくても、左腕に向かってダサいポーズをしてダサい大声を張り上げればダサい通話はできる。ここまではいい。便利な機械だと讃えるのもやぶさかではない。


 しかし開発したアメリカ人のハンバーガーパワーは、日本人たるおれの都合など一切気にしない。こちらがなにをしていようとも、日々の運動ノルマを押し付けてくるのだ。振動付きで。


 本当に外してやろうかとこの二日間悩んでいる。読んでもらえたら誰もがおれの意見に同意するはずである。


 基本的におれは母の目と声が届く範囲にいる。例外は自分のトイレや洗濯物を干す時、並びに父の介護時である。なので、運動というのは早足で歩く程度のことしか出来ない。仕方がない。それしかできないのだ。

 ところがウォッチ様、そんな言い訳すら許さない。母の夕食介護時、左腕に振動がきた。画面を拝見すると、こう表示されていた。


「賢一さん、まだ時間はありますよ」


 こやつ、母に食事を与えるというメロドラマなら号泣間違いなしの湿度がお高い場面においても「Hey Come on!」と運動を強いるのだ。振動付きで。


 どうしろと。一体どうしろと。30ポンドくらいの重さの箸を使えとでも言うのか。30ポンドがどれくらいの重さか調べる気にもならないが、米国の奴らはヤードアンドポンドに拘っているらしいのでどうせそういう指示を出してくる。振動付きで。


 しかもその言い方。物事には言い方があるとアメリカでは学ばないのか。友達でもないのにいきなり名前で呼ぶか。介護というもの自体がないのか。遠慮って知っているか。おれなら気を遣って「もしお時間があったら運動はいかがですか」と持ち主に優しく伝える。もちろん振動なしで。

 今の状態のおれに「まだ時間はありますよ」と言われてもなす術がないんだけど。そこ気づけ。中東の石油王のような大金持ちに「どうして君の家には庭がないんだい? 土地を買って石油を掘り当てればいいじゃないか」とせせら笑われているのと同じだ。振動付きで。


 正直カチンとくる。けど、それでも外せない。そういう時でも電話が鳴るからだ。

 ああ、現に先ほども助かったよ。訪問看護の時間変更をスムーズに予定表に書き込めたから良かったよ。だがおれは所有者でウォッチ様は道具だ。逆転なんぞ許さない。


 ただ一時的に外すことはある。それはうんこ掃除中である。ひとえにうんこが付いたら嫌だからなんだけど、そんな時に振動されても……えぇ……おれはどうすれば……という実情もある。

 だってどうしますか。そんな修羅場に「その調子です!」とかお門違いな褒め方されたら。運動量が評価されたら。振動付きで。

 怒るに決まっている。多分おれなら怒りのあまりに言葉が出てこず、振動には振動で応じる。怒りでぶるぶる震えるというやつである。


 実際便利だ。それは間違いない。こちらが忘れているスケジュールでもリマインダーに書き込んでおけば確実に教えてくれるのだ。たとえ運転中であろうとも。振動付きで。


 けどな、という思いがある。ここで言わなくてもいいんだぞ、空気読めよという意思表示もしたい。物事を忘れる人間であるが故のエゴだということも気づいている。それでもなお、言いたいのである。けどな、と。

 自分の何かを犠牲にしようとも、もっと大切な何かをしなければいけない時が人間には絶対にあるんだぜと声を大にして言わせてもらう。


 19時過ぎ。兄が帰ってきたのでシャワーを浴びようとウォッチ様を外しにかかる。だがそういう時に限って左手首のウォッチ様は、重要な電話の着信を知らせてくれたりするのである。振動付きで。

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