美しくなき生命
10月30日、金曜日。二度目の日記。
お昼前、母の訪問看護さんが来てくれた。いつもリハビリを行ってくれる人で、やる気と体調に応じて調整してくれる為とても信頼している。
その人とのリハビリの最中、母が訴えた。
「お尻が痛いんです」
「昨日見させてもらいましたけど、ただれてますもんね」
「あ、あの、朝4時に処方された軟膏塗ったんですけどね」
食事準備中だったが口を挟んだ。何もやってないと思われるのは介護者の沽券に関わる。
まもなくちょうど12時。父に食事を与えなくてはならない。食前にインスリンを打つ関係で、食事があんまり遅くなるのも早まるのも良くないのだ。間隔が開けば低血糖になるし、狭ければそれはまたインスリン打ちすぎということになる。インスリンでガンギまりということはないだろうが、健康上の不安は生じる。
その為、配膳を始めた。ほぼ同時のタイミングで訪問看護さんから「ちょっとお母様のお尻見させてもらっていいですか」と提案を受ける。
「お願いします」
「お父様のお食事に影響ありませんか?」
「そんなもんねえです」
インスリンをキメた父が食事を始めるのと、母のおむつがほどけるタイミングがこれまた同時だった。確認すると、うんこ山盛りである。思わず母に言った。
「言っといてよ、うんこ山盛りだよ?」
「え? そう?」
「おれが介護放棄丸出しっぽく思われてしまいます」
どうやら本人もうんこを出したという感覚がないらしい。
「けどこれならお尻痛いはずですよね……」
訪問看護さんが父の方を気にしながら再びおれに伺いを立てる。
「今、お掃除して大丈夫ですか……?」
「はい、お願いします。微力ながら手伝わせてください」
「だ、大丈夫ですかね、お父様は」
「便所で食事してると思えば。ブフッいいんですよ」
自分で言って自分で笑うみっともなさは筆舌に尽くしがたい。プロレスでいえばジャンピングリングインに失敗して顔面から落下し試合開始前に病院送りされたようなものだし、野球でいえばプレイボールの初球がバッターの頭に向かってしまって一発退場のような恥ずかしさがある。
それにしても我が家のリビングの混沌たるや。食事、排泄のサイクルが見事に展開されている。まさに便所で食事しているようなものだ、ブフッ。
ずっと前、会社の仲間内で理想の間取りについて語っていた時、「風呂とトイレは絶対に別!」と強く主張する者がいた。なぜかと聞くと、シャワー浴びている横にトイレがあるのが苦痛だという。そこへおれは実に建設的なアドバイスを与えたのだった。
「便所でシャワー浴びてると思えばいいのでは」
そう言われた人間の悲しい笑顔を思い出す。
それはいいとして、なんにせよ今のこの状況よ。うんこの処理のお手伝いをしながら少し震える。久しぶりに笑いを堪えるのがこんな場面だとは思わなかった。万華鏡めいた美しさすら内包する混沌に導かれ、おれの頭の中ではコールドプレイの「Viva La Vida」のイントロが勝手に流れ始めていた。
チャッチャッチャッチャ チャッチャッチャチャッチャ
止めようとしても止まらない脳内のリズムに合わせ、ドラマチックにうんこを掃除する。後ろを見れば父がドラマチックにも程があるビーフシチューかけご飯をわしわしとかっ喰らっている。目に映る全ては命を讃える演劇か。
生きてるって汚いよ。最近強く思う。誰だって二酸化炭素を吐き出しているのだから綺麗な生き方なんてありはしない。食べたら出すし、生まれたら死ぬ。当たり前のことだ。
けどそこには絶対に見過ごせない、関わらずにいられないものがあるんだな。人生なんてサイダーの泡が弾けた瞬間と同じ程度の、一瞬のことに過ぎないのかもしれない。けどその一瞬に何かを表現したり、誰かを愛したり、運命に抗ったり、必死で歯を食いしばって生きている人がいる。それはきっと、限りなく美というものに近い汚さなのだろう。だから今日もがんばるし、明日も汚らしくがんばるのだ。
そんな事をうんこ拭いている間に考えさせるのだから、場違いな音楽の催眠効果ってすごい。どうせなら誰かにスフィンクスの前に仁王立ちしてもらい「津軽海峡冬景色」あたりを爆音で聴いてもらいたい。
石川さゆりの艶やかな歌声は、砂の上で熱風に吹かれようとも冷却効果を発揮するに違いない。ぜひ試していただきたい。
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