対大便特化型掃除兵器フンゲリオン

 10月21日、水曜日。晴れ。暑い。暑いといっても20度くらい。Tシャツで病院のロビーを歩いていたらジロジロ見られた。


 母に届け物。手紙と先割れスプーン。

 今回は退院の日程を決めなくてはならない。

 担当の看護師さんと色々打ち合わせ。今後、緊急時以外は違う病院からの往診を受けてもらうことになる。退院後は通い慣れてしまったこの病院に来ることはない。それを念頭に置くと少しだけ寂しさも生まれるかと思いきや、やはりそんなことは全く無かった。


 改めて、今後の注意点を説明される。


 1、呼吸が止まっていたら往診してくれる病院か、訪問看護に電話をすること。


「これを怠ると警察に連れて行かれます」


 と看護師さんは言った。ちょっとだけコメディのアイデアが膨らみかける。ダメ人間の極みでも目指しているのかおれは。


 2、大発作が起きたらまずは救急車で当病院へ。


「ただし、お分かりだと思いますが、次に起きたらかなり危ないです」


 でしょうね、としか答えられない。実際てんかんの発作が起きるたびに運動能力にせよ認識機能にせよ、がくんと落ちている。これはどうしようもないことだ。一命をとりとめたとしても、厳しい決断に迫られる恐れが高い。


 3、全部を背負い込もうとしないこと


「本当にお母様が動けなくなったら、ホスピスに転院するのが本人にとってもいいと思います」


 通常なら今の段階でホスピスに移るらしい。こちらは無理を承知で受け入れるのである。がんばらなければならない時にことごとくがんばってこなかった人生だ。この半年くらいはがんばらなくてはならない。


 家に戻すにあたり、学んでおかなければならないことがあった。うんこの拭き方である。

 今までは風呂場で流していた。手すりに捕まって立ってもらい、お尻をシャワーで流していた。だがもう立つことはできないのでその方法は取れない。ベッドの上で処理をすることになる。このやり方を学ばなければならないのだ。


 別の看護師さん立ち会いのもと、母の病室へ案内された。4人部屋だが他に患者はいない。2週間ぶりに見た母の顔色はやはり青白かった。おれの顔を見るなり泣き出した母に声をかける。


「顔色いいじゃん」


 母は黙って何度もうなづいた。

 さて、講習の時間である。


「じゃあちょっと失礼しますね」


 と看護師さんは母のパジャマのボタンを外し始めた。ズボンの横もボタンで開くタイプになっているのだ。

 おむつを外し、パッドをのける。うんこがあった。


「じゃあやっていきましょう」


 看護師さんが手袋を差し出してきた。よしやるぞと意気込み、ビニール袋を広げる。アップルウォッチ様はテーブルに放り投げた。また「その調子です!」とか表示されたら冷静ではいられなくなる。


「手際いいですね」

「ここまでは慣れてます。えへ」


 お褒めの言葉をたまわり、笑顔でうんこを掃除し始める46歳。母は嗚咽をこらえきれないようだ。看護師さんが母に声をかけた。


「どうしたんですか、桑原さん。どこか痛いんですか?」

「息子にこんなことさせるなんて、申し訳なくて……」


 母が悪いわけではない。病気が悪いのだ。それを切り離して考えるくらいの余裕はまだある。

 体の向きを変え、おしりふきできれいにしつつ新しいパッドを当てる。


「おむつは交換しますか?」

「いえ、汚れてないので一日一度にしないともったいないです」


 確かにおむつを一日数回も変えていたら経済的に厳しい。なんとかパッドの中で済ませてもらうように祈るしかない。

 ほぼ終わりかけた頃、まだ母は泣いていた。


「いや、気にしなくてもいいんだよ」


 声をかけても泣いたままだ。


「そんなに気になるなら、一回50円とかくれたらいいんじゃないかな。そうすれば仕事としてやるので」


 病室での介護中に生々しくカネの話を始めたおれを見て、看護師さんは笑った。つられて母も笑う。


「2回で100円。そんなに安くもなく高くもない。仕事でやるんだから気にしなくていいよ」

「なんでその値段なんですか」


 笑いながら看護師さんが尋ねてきた。


「深い意味はありませんが、50円玉が好きなんです」

「えっそうなんですか」

「まあ10円とか1円よりは好きです」


 適当極まりない。探せばいるのかもしれないが、おれは50円玉のファンでもマニアでもない。1万円札のファンではあるが、それは手元にないから恋しいだけなのだ。

 仕事でやると思えば気持ちも違ってくる。対大便特化型掃除兵器フンゲリオンとしていそいそと働くのだ。


 掃除終了後、床ずれ防止対策を教わった。クッションを足や肩に敷き、3時間に一度それの位置を変えるのだ。つくづく看護師というのは大変な仕事である。


 諸々片付き、看護師さんを交え母と雑談。コロナ対策の中、面会拒否の姿勢を打ち出している病室で長居するのは申し訳ない。なんとなく言いたいことを伝え、手紙を手渡した。


 夕方、デイから戻ってきた父に報告。


「お母さんに会ってきた」

「どうだった」


 おれは顔を見ずに言った。


「ああ、顔色良かったよ」


 この一年で、何回嘘をついただろうか。これから何回嘘をつけるのだろう。

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