ダサ? ダサダダダダサ。ダ。
10月15日木曜日、曇り。
最近の習慣で、朝起きたらアップルウォッチ様を装着する。買ってしまった以上は使い倒してやる、というつもりでいるが、ウォッチ様に飼いならされているというのが結果的には正しい気がする。
風呂の時以外は着けている。洗い物だろうが父のケツを拭いている時だろうが食事中だろうが外さない。一番便利な点はやはり着信機能。電話に出れないということがなくなった。
目下最大の懸念は入院中の母の状態。病院からいつ電話がかかってくるかわからない以上、電話にはいつでも出られるようにしておかなければならない。
手元に携帯電話が無い時、草間大作がジャイアントロボを操作するように手首で通話ができる。重たい携帯電話を気にしなくていいという点においては、ちょっとした爽快感があるのだ。
ただしダサい。相当激しく問答無用にダサい。清少納言だったら「手首の林檎に語りかけたる介護者いとわろし げにダサし」と書き残し、以後視界にさえ入れようとしないだろう。
清少納言に言われずとも、見た目がスタイリッシュかつスマートなダサい棒丸かじり状態であることは認識している。だが便利なことは間違いない。
家の中であれば余裕で会話ができる。家の中で格好を気にしても仕方がないからだ。もし誰かが見ていても「イヤホン忘れちゃって」と言い訳ができる。
ではこれが玄関ならどうなるか。会話をしている途中ならどうなるか。
今後、おれと同じようなアップルウォッチャー(アップルウォッチに飼いならされた人の意味か)が同じ状況に陥らないよう、今日起きた悲劇を書き留めておく。
朝9時25分。いつものように予定時刻より10分遅れ、いわゆる時間通りに父のデイサービスのお迎えが来た。さりげなく使っているが、「お迎えが来る」というのはかなり内角高めを攻めた表現だと思う。
施設の人が父の体温を測り、荷物をチェックする。
「血糖値の針……はそうか、いらなくなったんですね」
「そうなんです、朝だけで……あ、すみません」
左手から振動が伝わった。画面には母の入院している病院の名が。携帯電話は2階の自室に置いたまま。
しかたなく、ウォッチ様に表示された受話器ボタンを押した。左手首から音声が流れる。
「ダサ? ダーサダサダサダサダサ。ダ」
「ダ。ダサダサダサダサダサダサダサダサダサ?」
左手首越しにこのような会話が低めの声でなされた。一聴した限りではフランス語にも聞こえるかもしれない。だいたい小さめの声でサヴァとかダサとかカフェオレシルヴプレとか言ってればフランス語っぽく聞こえるのだ。フランス語話者の耳はごまかせないが、志賀直哉なら多分まんまと勘違いしてくれるはず。
なにはともあれ緊急事態ではなくて良かった。しかしよりによってこんなタイミングでそんなことを伝えてくれなくても。
お迎えのハイエースの扉は空いている。知らないおばあちゃんとなんとなく目が合った。おばあちゃんは目をそらした。正解。
施設の人はおれを薄ら笑いで眺めていた。正解。
いや、書き方が悪い。薄ら笑いというと向こうが悪いみたいだけど、礼を失しているのは自分の方だ。
向こうからしてみれば、荷物等の確認の最中にいきなり利用者の家族が左手首にダサダサと話しかけ始めたのだ。そんなもん「大丈夫、関わりませんし病院は近いです」的な薄い笑顔になるに決まっている。
会話の最中に他の電話に出るのは失礼だと思う。「あなたとの会話よりも重要なものがあるのです」と突き放している感覚になるというか。今回みたいな背景があるとしたらまあ仕方がない部分はあるけれど、できればあまりしたくないところだ。
例えばコンビニエンスストアのレジに、わざわざ電話をしながら並ぶようなのは別にいい。いいというのはどうでもいいという意味と電話をかける知能があってよかったね、来世では「じょうしき」が漢字で書けるようになるといいね、という意味だ。
しかし今回。わざわざ父のお迎えに来てくれた天使のような人(有料)をフルスイングのダサさで殴ってしまった。いつでも電話に出られるというのは心強いことでもあるが、いらぬ誤解を招く恐れもある。なにしろ施設の人は母が入院していることなど知らないのだから。
「桑原家の人間は剥製にして壁に飾りたくなるくらいダサい」と思われるならまだいい。「失礼な家」と誤解されるのは困る。けど誤解されても仕方がない行いだった。
なので今、言い訳を考えている。もし送ってくれる人が同じだったらなんとなく説明しておこう。違う人ならどうするか。
考えても仕方がない。とりあえずダサいフライパンでダサい目玉焼きをダサく焼き、ダサいトースターでダサい食パンを焼いてダサい朝食を済まそう。
なお朝のお迎え途中のダサダサ会話を、普通の感覚の人の為に擬音でなく通常の言葉で表記すると以下のようになる。
「桑原さまの携帯ですか? お母様がテレビカードを買ってきてと。3枚ほど」
「分かりました。午後でいいですか?」
思ったよりもどうでもいい内容でホッとした。
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