進化の中間
「県民共済と国民共済に電話して、お母さんの入院費がいくら戻ってくるか調べて請求しろ」
隙を見て仕事をこなしている最中、絶賛入所中の父から電話があり、毎度おなじみの通達が下された。入所して5日間ぶり、3度目の同一内容である。自分では電話をかけることができないので、スタッフさんが補助してくれているはずだ。
父はボケている。なんかのボケテストで30ボケ満点中15ボケだったそうなので、確実にボケ倒している。
ボケているので計算はできないがカネのことには異様にうるさい。
ボケているから契約しているそれらが「75歳以下」「病気ではなく交通事故等のケガ」でなければ戻ってこないということは、実に都合よく理解できていない。
ボケているがために何度も何度もな・ん・ど・も・同じことを繰り返すのだ。母は76歳、ケガではなく病気だから共済金返金の対象にかすりもしていないのである。
しかし色々考えるとボケだしたからそれが分からなくなったのではなく、もともと理解していなかった節がある。なぜならばボケていることを差し引いても余りにもすさまじく盲目的で、ヒトというかチンパン寄りなのではと思わせるほど両共済金に対するあきらめが悪いからだ。深く考えるとミッシングリンクとか種の問題に突き当り、面白さ丸かじりの内容になってしまう為、一応「理解していないヒト」だと認識して話を進める。
このヒトは、母が入院するたびにやれ両共済に電話しろとかやれ行ってこいと騒ぎ立てるが、数日後には毎回同じ紙が家に送られてくる。つまり「いや、該当しないって言ってるだろ。しつこいよ」のお手紙である。
「絶対に午前中に提出しなければならん」という書類を渡され両共済へ行かされたことがある。慌ただしく駆け込んだおれに、向こうの担当者は憐れむような視線を投げかけつつ言った。
「いきなり来られてもお時間の無駄になります。まず電話で資料を取り寄せて書類に署名して2年以内に郵送頂ければ」
そう言われれば帰る以外にできることがない。
結局父がおれを騙したのだが、その過程でおれの得意先が一つ消えたことの詳細は書かずにおく。思い出すと怒りが収まらない為だ。
冒頭の電話に移る。父は言いたいことを言うと「わかったか」と確認をしてきた。ボケ老人相手に本気で怒るのは良くないことだと理解しているが、こっちは仕事中だ。この苦しい生活を続けながらも、夢の一つである個人事業主にゆっくりと帆先を向けている最中なのだ。何度も何度も人生の邪魔をされてはかなわない。
「75歳以下でもなければケガでもない! 出ない!」
「何言ってるかわからない。確認しろ」
「出ないって言ってんだろうが! いい加減にしろ!」
「何言ってるかわからない」
「出ねえ! てめえが契約した内容だろうが!」
相当大きくなったおれの声が、スタッフさんに届いたようだ。電話口の声の主が変わった。
「出ない、とお伝えすればいいですか?」
「そうだって言ってんだろ!」
「は、はい」
「すんません! 間違えましたわ!」
矛先を向ける相手を間違えたわけではなく、ウニとか栗のように全方位矛先むき出し状態だったので刺さるのは必然。悪いことをした。
だがさすがは15ボケ。理解できないことや都合の悪いことは聴こえないふりをする知恵が備わっている。普通の人間にそんなことはできない。ここまでくると、ボケや性格の問題ではなくもうめんどくさいからそういう種ととらえるべきではないだろうか。さっきまでは「理解していないヒト」として話を進めたが、もういい、これは無理だ。ヒトやめよう。そうすれば腹も立たないうえ、ついでにミッシングリンクの話が盛り上がってきて、どうしても面白いことになってしまう。
ミッシングリンクとは生物の進化過程をすっごい上から見た時に、進化の中間の化石や生物が見つかっていない状況のことである、多分。詳しくは知らない。進化過程を鎖に例えた上での、途中の見つからない輪っかのことだと思う。本当にすっごい上から見下ろしてる感が強い。
化石が出てくればみんなニッコリ、出てこないと不安になるのはなんとなくわかる。親しい人のアルバムから、途中の写真がすっぽり抜け落ちてるみたいな怖さだろうか。「アルバム見る?」と聞かれて「見ない」としか答えたことがないのでこれもよくは知らんが。
ヒトという種の進化過程にその抜け落ちがあるのか知らないが、まだ見つかっていないのならそれも当然、生きているからだ。もし生物学者たちが血眼になって探しているのならば、是非提供したい。近所の老人ホームに入所中である。
とすると、おれもその対象になるのか。ヒトというよりチンパン寄りの存在に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます