言葉に詰まる問題

 11月8日、日曜日。曇り。暖かいので窓を開放。換気、大事。


 左手首の痛みは続いている。朝晩母の顔や体を熱い蒸しタオルで拭くのだが、タオルを絞るのに四苦八苦。左手で抑えることを諦め、右手で握り潰す方法を採用した。

 このやりかただと、ちょっと、あたまが、わるくなったかわりに、とってもつよくなったきがするとおもいました。


 年末が見えてきた。現実から目をそらし、先送りしている問題に取り掛かる時期が来たのだ。本当に難しい問題なのである。

 昨晩、母の顔をタオルで拭いている最中に、なにやらもごもごと話しだした。


「あのあれ、おかげさまじゃないや、肩で出す奴、ええと、なんて言ったっけ」


 何を言っているのかわからないが、最近はこういう断片的な情報から母の言いたいことを探らなければならなくなった。だいたい最初に出てきた単語の頭の一文字から連想すると正解することが多い。今回なら「おかげさま」なのでおがつく何かだと思われる。

 お歳暮、おせち、おもち、おはぎ、おしること色々上げていったが、どれも違うようだった。

 第2ヒントは「肩で出す奴」である。何かしらの動きを指しているような気がする。肩で出すという言葉を文字面通りに捉えるとラグビーか相撲以外にないので、全く別の行動を指しているはずだ。


 もしかしたら。脳裏に浮かんだ言葉を口にすると、母は大きく頷いた。


「そうそう、年賀状。やだねえ。なんでこんな言葉が出てこないんだろう」


 最初のヒントは見当違いもいいとこだったが、もしかしたら年賀状の定型文「おかげさまで良き新年を迎えることができました」が頭のどこかに残っていたのかもしれない。第2ヒントは「書いて出す」だった可能性もある。頭の中のラガーマンと力士は錐揉み状に地面に吸い込まれていった。


 もちろん準備はしなければならない。時間がある時に済ませてしまえばいいのだが、今年に限っては事情が事情である。何枚年賀状を買うかと計算する前に、年賀状を出せるのかという大きな現実が待ち構えている。


 実は、喪中はがきは準備してある。途方に暮れる前にやることは多い。我ながら冷たいとは思うが、誰かがやらなければならないことだからやるのだ。


 そんなことは到底言えないので、いまだにどうしたらいいのか悩んでいる。

 熱いタオルの効果で血色が良くなった顔に、化粧水をペタペタと塗りつける。その間に自分が言うことを考えておく。結局、先送りすることにした。


「まあ、そのさ、まだ11月だから焦らないでもいいんじゃないかな?」

「何のこと?」


 母はもう年賀状のことを忘れていた。言語能力と記憶力は、退院してから顕著に衰え始めた。無理にヤブを突く必要はない。


「おせち料理。年末に注文すれば間に合うからまだいいかな」

「ああ、おせちね。なんだっけ、あの、黄色い……」

「それはともかくとして、今日はお母さんの好きな生姜焼きを作るけど、他に食べたいものはある?」

「いや、ない、ない。それで十分」


 タオルが冷えるまでの短い時間に、できるだけつかみどころのない話をする。タオルが冷える程度のとても短い時間に、最近は色々な考え事をするようになってしまった。

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