八つ当たり

 10月27日、火曜日。


 17時過ぎに兄から電話があった。今日はこの連絡を待っていたので、何も手につかなかった。

 電話口の兄の声は暗かった。それだけで内容が想像できた。


「やはり無理だと」

「そうか」


 少しだけ開頭手術に期待したのだが、やはり無理だった。手術したとしても、その後がどうにもならないらしい。入院していた病院と全く同じ見立てだった。どうしてもため息が出てくる。

 おれのその反応に、兄は強い言葉を放った。


「わかってたことだろ! お前だって調べて現実を知ってただろ!」


 ガンが脳に転移し、脳腫瘍となってしまった場合、多くの人は一年はもたないということは知っていた。知っていたがそこからなんとかして目をそらしていたのだ。もしかしたらなんか処置があるんじゃないかな、と甘い考えでいたのかもしれない。


「だったら!」


 兄はそこで言葉を区切った。


「だったらそんな暗い声を出すな! 今後、一番介護で長くいるのはお前だろう! 笑わせてやるんだろ! 笑わせてやる人間がそんな声出すな!」

「そうだな」


 暗い声で応える。今元気を出す必要はない。どう頑張っても今はこれが限界だ。つい先程まで緊張でピリピリしていたが、もはや酔っ払ったように力が入らない。自分に言い聞かせるが、今元気を出す必要はない。明日のことはともかくとして、明後日の退院日までに元気を取り戻せばいい。


 電話を切る。階下に降り、テレビを観ている父に何か言おうとしたが、何を言えばいいのか分からなかったので黙っていた。


 不意に父が口を開く。


「お母さん、退院はいつだっけ」

「あ、ああ。明後日」

「そうか」


 父はそれだけ言ってまたテレビに視線を移した。夕方のニュース風バラエティ番組がどうしようもない情報を垂れ流している。


 どうにもできないことに対して、どうにかしようと思うほど驕っていない。

 ただ、どうにかならないものかと足掻き、何度も病院へ行き、なんとかならないものかと神頼みをした。だが今回のような結果になってしまった。目に見えない何かを思い切り殴り倒してやりたい気分だ。


 そんな八つ当たりをしている暇があるなら、少しでも母が笑えるような情報を仕入れておきたい。こちらが深刻な表情をしていてはならない。不安が伝わってしまう。それは、誰の為にもならない。


 だが、今は無理だ。何もできない。

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